諏訪大社下社春宮では直書きの御朱印が頂けます。藩御用達の大工集団である大隅流が建てた社殿と敷地外にある万治の石仏で有名で、境内には数多くの見どころがあります。
是非こちらもご覧ください
直書き御朱印の魅力とは
御朱印所

御朱印は石鳥居横の授与所でいただけます。こちらでは直書きの御朱印を頂けます。尚、四社の御朱印が揃うと記念品が貰えます。
受付時間9:00~17:00頃
初穂料500円
御朱印

豪快な書体が多い諏訪大社の御朱印の中で、実にオーソドックスな御朱印を頂きました。
過去に頂いた御朱印

2019年12月14日付です。

2017年8月19日付です。
御朱印を揃えて頂いた記念品
オリジナル御朱印帳
諏訪大社四社では独自のデザインのオリジナル御朱印を扱っています。サイズは大小で紙質は普通でした。
価格1000円~2000円
祭神が祀られているのは「春」だけ
諏訪大社は長野県の諏訪湖周辺に点在する神社で、南岸に上社(前宮・本宮)・北岸に下社(春宮・秋宮)が鎮座しています。社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が建てられており、6年に一度これを建て替える御柱祭りで有名な神社です。
諏訪大社の創建は不明で少なくとも1500年から2000年前で、「国譲りの神話」にまつわる神社とされています。
神話において武甕槌大神(鹿島神宮の御祭神)に国を譲って出雲から諏訪に移り住んだ建御名方神を祭神として祀る上社本宮に対し、建御名方神の妃である八坂刀売神と兄である八重事代主神を祀っているのが下社です。
春宮は境内の最も奥まった場所にある杉の木をご神体として祀っており、御霊代を納めた神輿が東西の宝殿のどちらかに鎮まっています。寅と申の年の御柱祭りの際にもう一方に遷座して古い宝殿を建て替えるのは上社本宮と同じです。
下社ではこれに加えて毎年2月と8月に遷座祭があり、2月1日に秋宮から春宮・8月1日に春宮から秋宮へと御霊代が移動します。
つまり祭神が祀られているのが春(2月~7月)だけであり、そのため「春宮」と呼ばれています。
アクセス
交通
中央線下諏訪駅徒歩約16分
地図
諏訪大社四社参り(記事は下に続きます)
境内の見どころ
諏訪大社下社の春宮と秋宮は同じ図面に基づいて建てられており、寸法こそ違うものの建物の配置は同じです。遷座祭において御霊代を納めた神輿は下馬橋を渡り、神楽殿と幣拝殿の中央を通り抜けます。
春宮大門

下社春宮は下諏訪の町の北端で下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿いに鎮座しています。春宮大門から春宮まで続く約800mの直線道路は大門通りと呼ばれています。年に二回の遷座際において、御霊代を納めた神輿は必ずこの道を通ります。
下馬橋

1578年に造営された諏訪大社全体で最も古い建築物です。かつてはたとえ殿様といえどもこの場所で籠や馬から降りて歩かなければならなかったのでこの名前が付いています。現在でも年2回の遷座祭の行列の中で神輿だけが渡ることができます。
石鳥居

1659年建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
縁結びの杉

先で二股に分かれていますが、根本では一つになっていることからこの呼び名が付きました。
神楽殿

1680年代に建てられたもので、遷座祭においては神輿が建物の中央を通り抜けます。
藩御用達の大工集団が建てた社殿

幣拝殿(重要文化財)は1779年に落成した祭祀・拝礼を行う建物で、遷座祭においては神輿が建物の中央を通り抜けます。

幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並んでいます。春宮と秋宮は同じ図面をもとにつくられており、彫刻において技が競われております。



春宮の社殿は長く藩御用達の宮大工集団であった大隅流の棟梁・柴宮長左衛門が手掛けたものです。秋宮を請負った新興勢力の立川流に対抗するため藩が提示した金額の半額で、さらに秋宮より1年早く完成させました。

幣拝殿の奥に東西二棟の宝殿があります。6年毎の御柱祭りに際して交互に建て替られ、次の祭りの際に古い宝殿から新しい宝殿に神輿とご神宝が移されます。
宝殿のさらに奥にご神体の杉の木があります。
下社春宮の御柱
諏訪大社は六年に一度寅と申の年に開催される御柱祭で有名で、山中から切り出した16本の巨木を各宮まで曳いてその四隅に立てています。

その影響なのか、この辺りでは小さな祠に至るまで神社を四本の柱で囲むのが一般化しています。
一之御柱

二之御柱


下社の御柱は祭りの1年前に伐採して皮をむいた状態で保存します。乾燥して軽くなった状態で曳くため、裏側は従来からほとんど削れていません。
三之御柱

四之御柱

万治の石仏
岡本太郎が絶賛したことで有名になった「万治の石仏」は徒歩5分くらいの場所にあり、春宮とほぼセットのような存在となっています。

1657年に春宮に石鳥居を奉納しようとして職人たちが巨石にノミを打ち込んだところ何と石が血を流しました。祟りを畏れた職人たちは大鳥居を断念し、改めて阿弥陀仏を刻んで建立したのがこの像です。
御柱祭の見物の際に石仏を紹介された岡本太郎はそのユニークな風貌を激賞し、その後何度も下諏訪を訪れたそうです。

観光協会と商工会議所推奨のお参りの仕方がありました。
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