酒とうどんと御朱印の日々

酒好きの不動産ライター兼旅ライターによる渾身のブログ

〖令和初〗陽運寺の御朱印と四谷怪談

今回は四谷の陽運寺の御朱印をご紹介します。四谷怪談で有名なお岩ゆかりの寺院ですが、実際のお岩は家庭を大事にした貞淑な妻であったということで、悪運を切って良縁を結ぶ縁結びの寺として知られています。

四谷怪談とは

浪人の伊右衛門は四谷の御先手鉄砲組同心であった田宮家に婿養子として入りお岩を妻としますが、その一方で上司である与力の伊東喜兵衛の妾に惹かれます。伊右衛門は邪魔になったお岩と離縁しようと画策し、騙されていたと知ったお岩は狂乱状態になって疾走します。その後の田宮家は不幸が続いて断絶し、その跡地では怪異が発生したことから於岩稲荷がたてられたという内容です。

これをもとにして1825年に歌舞伎の演目として「東海道四谷怪談」がつくられ、それによりお岩が江戸庶民の注目を集めるようになりました。お岩が喜兵衛から贈られた薬のために顔半分が醜く腫れ上がったまま死ぬ場面はこの時に加えられました。

実際の田宮家は断絶せず現在まで続いており、夫との仲は良好で夫婦協力して生活を向上させたともいわれています。

お岩ゆかりの寺院である陽運寺

陽運寺お岩ゆかりの場所にある陽運寺は於岩稲荷とも呼ばれていますが、道を挟んだ向かいにも於岩稲荷田宮神社があります。

この辺りは実在する田宮家の屋敷跡で、お岩が信仰した邸内社の田宮稲荷神社が「お岩さんの稲荷」として人々の信仰を集めるようになりますが、明治12年の火災で焼失して中央区新川に移転します。

昭和初期に茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった日建が日蓮宗の寺院である陽運寺を創建し、栃木県沼和田から薬師堂を移築して本堂とし、お岩の木造を祀りました。

一方、昭和27年にかつての於岩稲荷の跡地に神社が再建され、現在の於岩稲荷田宮神社となっています。

歌舞伎で大ヒットした演目のゆかりの地であり、名所の数は多い方が地元が潤うというような事情があったようです。

「令和初」の陽運寺の御朱印

御朱印所

御朱印所御朱印所は本堂左手奥にあります。

志納金300円

御朱印

御朱印

御朱印は書置きでした。令和になって最初の御朱印です。

「年収は購入する財布の金額で決まる」「使用する財布のタイプで金運が変わる」と言われています。ポジティブな人、お金を大切にしている人の所にお金は集まります。

陽運寺の境内

山門

山門新しくてきれいな寺院です。

竜神様の手水

竜神様の手水お岩も使用したと伝えられる水です。

お岩様縁の井戸

お岩縁の井戸現在も霊水として使用されています。

於岩稲荷

於岩稲荷

水かけ福寿菩薩

水かけ福寿菩薩

縁結び大黒天

縁結び大黒天

本堂

本堂1757年築の建物で、日蓮の像、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などと並んでお岩の木造も祀られています。実際のお岩は家庭を大事にした貞淑な妻であったということから陽運寺は縁結びの寺としても知られ、悪運を切って良縁を結ぶご利益があるといわれています。

お寺カフェ

お寺カフェ境内のお休み処にはカフェが出店していました。

たまにやってる寺カフェ「たまにやってる寺カフェ」ということで、不定期の営業のようです。

於岩稲荷田宮神社

於岩稲荷田宮神社

陽運寺の向かいには於岩稲荷田宮神社が鎮座しています。

社殿「ただ今書き手所要でおりません。御朱印はできません。あしからず」という貼り紙が社殿にありました。

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◆平成最後の御朱印となった久里浜天神社

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