御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖四谷怪談〗陽運寺の一度見たら忘れない御朱印とご利益

四谷の陽運寺では一度見たら忘れない達筆な御朱印を頂けます。四谷怪談で有名なお岩ゆかりの寺院ですが、実際のお岩は家庭を大事にした貞淑な妻であったということで、悪運を切って良縁を結ぶ縁結びの寺として知られています。

「令和初」の陽運寺の御朱印

御朱印所

本堂左手奥にある御朱印所御朱印所は本堂左手奥にあります。

志納金300円

御朱印

陽運寺の一度見たら忘れない達筆の書置き御朱印

御朱印は書置きでした。一度見たら忘れない達筆な御朱印です。

陽運寺の由緒とご利益

四谷怪談とは

浪人の伊右衛門は四谷の御先手鉄砲組同心であった田宮家に婿養子として入りお岩を妻としますが、その一方で上司である与力の伊東喜兵衛の妾に惹かれます。伊右衛門は邪魔になったお岩と離縁しようと画策し、騙されていたと知ったお岩は狂乱状態になって疾走します。その後の田宮家は不幸が続いて断絶し、その跡地では怪異が発生したことから於岩稲荷がたてられたという内容です。

これをもとにして1825年に歌舞伎の演目として「東海道四谷怪談」がつくられ、それによりお岩が江戸庶民の注目を集めるようになりました。お岩が喜兵衛から贈られた薬のために顔半分が醜く腫れ上がったまま死ぬ場面はこの時に加えられました。

実際の田宮家は断絶せず現在まで続いており、夫との仲は良好で夫婦協力して生活を向上させたともいわれています。

お岩ゆかりの地にお岩の木像を祀った陽運寺

陽運寺と於岩稲荷田宮神社の間の通お岩ゆかりの場所にある陽運寺は於岩稲荷とも呼ばれていますが、道を挟んだ向かいにも於岩稲荷田宮神社があります。

この辺りは実在する田宮家の屋敷跡で、お岩が信仰した邸内社の田宮稲荷神社が「お岩さんの稲荷」として人々の信仰を集めるようになりますが、明治12年の火災で焼失して中央区新川に移転します。

昭和初期に茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった日建が日蓮宗の寺院である陽運寺を創建し、栃木県沼和田から薬師堂を移築して本堂とし、お岩の木造を祀りました。

一方、昭和27年にかつての於岩稲荷の跡地に神社が再建され、現在の於岩稲荷田宮神社となっています。

歌舞伎で大ヒットした演目のゆかりの地であり、名所の数は多い方が地元が潤うというような事情があったようです。

悪運を断ち良縁を結ぶご利益

実際のお岩は家庭を大事にした貞淑な妻であったということから陽運寺は縁結びの寺としても知られ、悪運を切って良縁を結ぶご利益があるといわれています。

アクセス

交通

丸の内線四谷三丁目駅徒歩約5分

総武線信濃町駅徒歩約8分

地図

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陽運寺の境内

山門

陽運寺の山門新しくてきれいな寺院です。

竜神様の手水

竜神様の手水お岩も使用したと伝えられる水です。

お岩様縁の井戸

竹で蓋がしてあるお岩縁の井戸現在も霊水として使用されています。

於岩稲荷

於岩稲荷と赤い幟

水かけ福寿菩薩

水かけ福寿菩薩

縁結び大黒天

縁結び大黒天

本堂

陽運寺の本堂1757年築の建物で、日蓮の像、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などと並んでお岩の木造も祀られています。

お寺カフェ

本堂の隣に建つお寺カフェ境内のお休み処にはカフェが出店していました。

於岩稲荷田宮神社

於岩稲荷田宮神社

陽運寺の向かいには於岩稲荷田宮神社が鎮座しています。

社殿「ただ今書き手所要でおりません。御朱印はできません。あしからず」という貼り紙が社殿にありました。  

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