薬師寺では鮮やかな筆跡の直書き御朱印を頂けます。奈良時代に創建された際の姿を現在に伝える国宝の東塔が見事で、境内には多くの見どころがあります。
是非こちらもご覧ください
薬師寺の直書き御朱印
御朱印所

薬師寺の御朱印所は東僧坊内にあります。こちらでは直書き御朱印の他、書置きも3種類頂けます。
受付時間 8:45~17:15
志納金 500円
御朱印

鮮やかな筆跡の御朱印を頂けました。
過去に頂いた御朱印

2021年12月10日付です。
オリジナル御朱印帳
薬師寺では数多くの種類のカラフルなオリジナル御朱印帳を扱っています。サイズは大・小で、紙質は極上でした。
価格 1350円~2640円
薬師寺の由緒
薬師寺の創建は680年で、天武天皇が皇后の病気平癒を願って飛鳥の藤原京に造営が開始されました。皇后の病気は後に平癒しますが今度は天武天皇が病気になってしまい、薬師寺の完成を見ることなく686年に崩御します。
すると皇后は自ら即位して持統天皇となり、天武天皇の遺志を継いで建立を進めます。そして697年に本尊を開眼させ、翌698年には寺の造営をほぼ完成させました。
710年に都が平城京に移ると薬師寺も平城京の現在の地に移転します。残された飛鳥の薬師寺も「本薬師寺」として10世紀くらいまで存続したため、この期間は薬師寺が二つあったことになります。中央に金堂・東西に2基の塔を構えた伽藍配置はどちらの薬師寺も同じであり、平城京の薬師寺は飛鳥から移築したものか新築だったのかの論争がありました。(最新の研究によると新たに建てたもののようです。)
973年の火災で講堂・僧坊・南大門など多くの建物が焼失し、さらに1528年の兵火では東塔や東院堂を残して全山焼失しました。1600年に金堂・1852年に大講堂が再建されますが、往時の大伽藍とは比較にならないようなものであったといいます。
昭和になって開始された白鳳伽藍復興事業により金堂・西塔・中門・回廊・大講堂などが再建されました。それに伴い1600年に再建されていた以前の金堂は興福寺に移築されて仮金堂となり、1862年に再建されていた大講堂は解体されました。
アクセス
交通
近鉄橿原線西ノ京駅徒歩1分

ただし駅の目の前にあるのは「裏口」のような存在の與樂門で、「表門」である南門へは伽藍の反対側に回り込まなければなりません。

ホーム上に薬師寺の寺号標がありました。
地図
奈良で頂く御朱印(記事は下に続きます)
境内の見どころ

薬師寺の境内を紹介する記事に必ず登場するのが東西両塔と金堂の屋根が写ったこの写真ではないでしょうか。

右下の赤丸部が撮影ポイントで、與樂門から徒歩約14分です。
中門

1984年に再建された建物です。私は與樂門から入場したため、境内を横切ってこちらまで来ることで拝観をスタートさせました。
東塔(国宝)

奈良時代の730年に建てられたもので創建時の姿を残す唯一の建物であり、平城京に残る最古の建物として国宝に指定されています。
屋根の出が6層となっていますが下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)と呼ばれる設備となっており、構造的には三重塔です。裳階とは本来の屋根の下にもう一層の屋根を架け、塔本体の柱の外に壁を設けたものです。
これにより建物が実際より多層に見えるようになり、外観の優美さを際立たせることができます。私自身は建物がくびれているような印象を受けました。
最上層の屋根だけ勾配が急になっており、これは水はけを良くするために長い歴史の中で加えられた改造であるようです。

美しさと力強さを兼ね備えた組物が屋根を支えていました。奈良時代にこれだけの技術があったことに驚きます。
西塔

もともとの塔は1528年に焼失してしまい、現在の建物は1981年に再建されたものです。東塔より約30センチ高く建てられており、材木の乾燥収縮と基盤の沈下により500年後に東塔と同じ高さになるよう計算されています。
金堂

龍宮造りと呼ばれたもともとの建物は1528年に焼失してしまい、1600年に仮金堂が設けられていましたが、1976年に創建当初の姿で再建されました。

中央に薬師如来(国宝)・左に月光菩薩(国宝)・右に日光菩薩(国宝)が安置されています。仏教彫刻の最高傑作の1つとされて造立時は鍍金が施されて金色に輝いていたといいますが、火災によって起こった化学変化により現在は漆黒の姿となっています。
泰然自若とした表情と全体像の優美さが際立っていました。
大講堂

1528年に焼失して2003年に創建当初の姿で再建されたもので、伝統工法による復元建築としては史上最大規模の物とされています。
東院堂(国宝)

現在の建物は1285年に再建されたもので、もともとは南向きでしたが1733年に西向きに建て直されました。

軒下が広く長くとられています。軒先の長い直線と両端の曲線の取り合わせが見事です。
本尊の聖観世音菩(国宝)の四方を四天王(重文)が囲んでおり、高貴な立ち姿の聖観世音菩薩と臨戦態勢そのものの四天王の対比が面白く感じました。
食堂

食堂(じきどう)は僧侶が食事をするための建物で、もともとの建物は約300人が一堂に会せる規模の物だったといいます。創建後に焼失と再建が繰り返され、現在の建物は2017年に建てられました。
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