東慶寺の御朱印は全て書置き対応で、境内は全域で撮影禁止になっていました。北鎌倉の歴史ある縁切寺として知られており、一年を通して何かしらの花を楽しむことが出来ます。
東慶寺の歴史
北条時宗夫人が建立した東慶寺
東慶寺は鎌倉幕府の第8代執権であった北条時宗夫人の覚山尼により1285年に建立されました。江戸時代の文献によると、不憫な境遇の女を三年間寺で召し抱え縁切りして身軽になれるという寺法の成立を、息子である第9代執権の貞時に願ったとされています。
5世住持であった用堂尼は後醍醐天皇の皇女で、兄である護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったとされます。そのため明治になって鎌倉宮が創建されるまで、護良親王が殺された二階堂一帯は東慶寺が領有していました。
40万石の大名をはねつけ東慶寺の権威を確立した20世住持
江戸時代になると、豊臣秀頼の側室の娘である天秀尼が徳川秀忠の娘千姫の養女として東慶寺に入るのですが、この時に発生した会津藩のお家騒動に巻き込まれてしまいます。
会津藩では家老・掘主水が主君の加藤明成と対立して脱藩し、妻子を鎌倉の東慶寺に預け自身は高野山に逃げたのですが、高野山では匿いきれず本人は会津藩に引き渡されて処刑されました。
さらに会津藩は家臣を東慶寺に差し向け掘主水の妻子を捕縛しようとしましたが、これに対して天秀尼は千姫を通じて幕府に抗議して助命を実現し、最終的に加藤家は改易となってしまいます。40万石の大名をはねつけたことにより、これ以降東慶寺の権威と特権は確立されました
明治になって尼寺としての歴史を閉じる
20世住持であった天秀尼以降の東慶寺は住持不在の時期が度々あり、22世住持の後は明治になるまで約130年間も住持は空席状態となります。
1902年に東慶寺は尼寺としての歴史を閉じ、それ以降は禅寺として新たに歩み続けています。関東大震災で鐘楼を除く全ての建物が倒壊し、現在の建物はそれ以降再建されたものです。
縁切寺とは?
東慶寺は縁切寺として知られていますが、この制度は明治になって女性からの離婚請求権が認められるようになるまで続きました。
話がつけば女性からでも離婚できた
江戸時代以前に庶民にはそもそも「家」という概念がなく、そのため結婚・離婚といったものが発生するのは徳川家康によって儒教が取り入れられて以降だとされています。
江戸時代の離婚は「夫側からの離縁状交付にのみ限定されていた」と良くいわれますが、実際は話がつきさえすれば女性からでも離婚できたそうです。
話がつかないと「駆け込み」が必要
問題は話がつかなかった場合で、その時は「夫の手に負えぬ場所」に駆け込み、そこで3年過ごすことが必要でした。「夫の手に負えぬ場所」といえば武家屋敷のような庶民にとって権威のある場所です。
しかし江戸時代中期になると武家屋敷で駆け込みを認めなくなり、そのためかつて40万石の大名すらはねつけた東慶寺が最後の砦となったのです。
家庭裁判所のようなことまでやっていた
実際に駆け込みがあった場合は一旦境内の御用宿で預かり、家庭裁判所における離婚調停のようなことが行われました。どうしても男が離婚に応じない場合のみ足掛け三年女性を寺で預かって離婚を成立させました。
アクセス
<
東慶寺の御朱印
御朱印所
御朱印は宝物館である松ヶ丘宝蔵で扱っています。全て書置き対応です。
初穂料500円
御朱印
品格のある美しい御朱印です。
過去に頂いた御朱印
平成29年1月25日付です。
アクセス
交通
横須賀線北鎌倉駅徒歩約4分
地図
近隣の寺社
境内は撮影禁止
久しぶりに東慶寺をお参りしてみるといつの間にか「境内全域撮影禁止」となっているではないですか。境内は以前よりもひっそりとしていて、寺の職員も宝物館兼売店の松ヶ丘宝蔵に一人いただけでした。どうやら寺の方針が変わったようです。そのため山門の内側は撮影禁止となる前の写真を掲載します。
山門
狭い階段と狭い山門から女性を守る最後の砦としての気構えがうかがえます。
「東慶寺からのお願い」と題された告知が掲示されていました。「必ずはじめに本堂参拝」「拝観料はいただいていない」「お気持ちを賽銭箱に」「境内全域撮影禁止」という内容が書かれています。
参道
本堂に向かう参道の両側には梅の木が植えられています。
鐘楼
1350年の物です。
茶室「寒雲亭」
非公開なのが残念です。
本堂
本尊の釈迦如来坐像を祀る本堂は1935年に建立されました。
水月堂
水月観音菩薩をお祀りするお堂で、拝観には事前予約が必要です。
金仏
茶室「白蓮舎」と菖蒲畑
松ヶ岡宝蔵
東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館です。
墓地
東慶寺は学者や作家の墓が多いことで知られており、鈴木大拙・西田幾多郎・岩波茂雄・和辻哲郎・安部能成・高見順・小林秀雄らの墓があります。
静かで緑豊かな環境の中でご先祖様を供養することができます。
鎌倉を代表する「花の寺」
「花の寺」として知られる東慶寺は一年を通して何らかの花を楽しむことが可能で、特に春は様々な花が咲き誇り大変に見事です。
このブログのイチオシ記事
同じく境内が撮影禁止
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。