東大寺では5カ所の御朱印所で全て直書きの御朱印を頂けます。ユネスコにより世界遺産に登録された「世界最大級の木造建築」であり、境内は国宝・重文に満ちています。
是非こちらもご覧ください
御朱印は全て直書き
御朱印所
大仏殿の御朱印所は数多くあり、私が確認できた範囲では大仏殿・鐘楼奥・二月堂・四月堂・法華堂の五か所です。但し四月堂は耐震対策工事中で今回は閉鎖されていました。さすが東大寺だけあって全て直書きであり、しかも300円で頂けます。

大仏殿の御朱印所は堂内拝観ルートの出口付近にあり、当然ながら入場料が必要です。御朱印は「華厳」の1種類です。

鐘楼の奥にある御朱印所では俊乗堂・行基堂・念仏堂の御朱印を扱っています。
俊乗堂 重源上人・愛染明王・阿弥陀如来の3種類
行基堂 行基菩薩の1種類
念仏堂 地蔵菩薩の1種類

二月堂の御朱印は向かいにある二月堂受納所で、御朱印は「観音力」の1種類です。
四月堂の御朱印所は堂内で、こちらでは「十一面観音」と「普賢菩薩」の2種類頂けます。(工事により閉鎖中)
法華堂(三月堂)の御朱印所は堂内の拝観受付で、こちらでは「法華」と「不空羂索観音菩薩」の2種類の御朱印を頂けます。
受付時間
7:30~17:30(大仏殿4月~10月)
8:00~17:00(大仏殿11月~3月)
初穂料 300円
御朱印

今回は大仏殿だけで頂きました。華厳宗の寺院である東大寺大仏殿だけあって「華厳」と華麗な書体で書かれています。
過去に頂いた御朱印
全て2021年12月9日付です。
大仏殿

俊乗堂

行基堂

念仏堂

二月堂

四月堂

法華堂(三月堂)

オリジナル御朱印帳

東大寺では様々なデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。サイズは大・小で紙質は極上でした。
価格900円~2000円
一度焼けてしまうと再建が大変
733年に若草山山麓に創建された金鐘寺が東大寺の起源と考えられています。聖武天皇により741年に「国分寺建立の詔」が発せられると金鐘寺は全国の総国分寺となり、翌年には寺名も金光明寺と改められました。大仏の鋳造が始まった747年頃から東大寺と呼ばれています。
737年に九州から近畿にかけて大流行した天然痘は朝廷にも大きな影響を及ぼし、政権の中枢にあった「藤原四兄弟」が次々亡くなりました。光明皇后にとっては自身の後ろ盾であった兄たちであり、それを喪った不安から聖武天皇に大仏建立を強く勧めたとされています。
大仏造立は国を挙げた一大プロジェクトであり、当時としてはありえないほどの大規模工事でした。大仏殿が竣工したのが758年で、南大門・中門・大仏殿・講堂や僧房といった一通りの伽藍が完成したのは785年頃です。
都が平安京に移って以降も東大寺は奈良の有力勢力であり続けます。しかし1181年に平重衡による焼き討ちで伽藍が全焼してしまい、復興には源頼朝の支援が必要でした。

こうして1195年に二代目の大仏殿が完成し、落慶供養には頼朝や北条政子も出席したといいます。しかしこの大仏殿も1567年の松永久秀による焼き討ちで焼失してしまい、大仏は露座となってしまいました。

徳川綱吉の支援により三代目の大仏殿が完成したのは1709年です。

1998年にユネスコにより世界遺産に登録されており、東大寺大仏殿は奈良を象徴する眺望となっています。
アクセス
交通
近鉄奈良駅から徒歩約20分
JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分
地図
全国の大仏(記事は下に続きます)
国宝と重文だらけの境内の見どころ
境内案内図

南大門(国宝)

創建時の建物は962年に台風で倒壊してしまい、現在の建物は1199年に再建されたものです。高さは基壇上25.46mもあり、山門としては国内最大です。これだけ大きな門ですから、巨大な屋根を支えるのが大変です。

南大門は天井を張らずに構造材をそのまま見せており、そのため長さ約19mの通柱を下から見上げることができます。

軒を支える組物も巨大であり、それぞれが水平材で補強されています。


両脇には高さ8.4メートルの巨大な金剛力士像(国宝)が安置されています。有名な仏師である運慶が製作において総指揮を執ったことは間違いないようです。
中門(重要文化財)

大仏殿の手前にある楼門で、1716年に再建されました。両側に延びる回廊も重要文化財です。特別な儀式や貴人の来訪時にのみ使用され、通常ここを人が通ることはありません。

外見は二層ですが上層に上がる階段等はなく、見せかけとなっています。

中門の奥に若草山が見えます。お参りしたこの日は山焼の前日でした。
大仏殿(国宝)

間口57m・奥行50.5m・高さ46.8mあり、「世界最大級」の木造建築物です。見落としがちですが、参道中央の八角灯籠は創建当初のものであり国宝です。

鎌倉時代の大仏殿は間口が86mあったということですが、江戸時代の再建の際に木材が調達できず約3分の2に縮小されています。巨大な木造建築物を建てるには太い柱が不可欠ですが、そのための巨木も入手が不可能になっていました。

そこで細い柱の周囲に台形の断面の木を貼り付け、それを釘と金輪で固定することで太い柱を実現しています。
これだけ巨大だと重い屋根を支えるのが大変です。江戸時代の技術だけでは対応しきれなかったようで、明治初期には正面の軒が波打っているような状態でした。そのため1903年から実施された大修理では英国製の鉄骨トラスによる補強が行われています。

鉄を使用した補強は基本的に屋根裏等の外から見えない場所でおこなわれていますが、巨大な軒を支える組物の部分に補強用の鉄(黒矢印)が見られました。貴重な文化財を後世に遺すというのは大変なようです。
廬舎那仏像(国宝)

現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、有難いことに堂内は撮影可です。

これまで地震や火災などで度々損傷しており、頭部は江戸時代・体部は大部分が鎌倉時代に補修されたものです。台座・右の脇腹・両腕から垂れ下がる袖・大腿部などに建立当時のものが残っています。
虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)

大仏に向かって左手に安置されており、1752年に完成しました。
如意輪観音坐像(重要文化財)

大仏に向かって右手に安置されており、1738年に完成しました。写真を撮り忘れたので、これだけ2021年12月に撮影したものです。
廣目天像と多聞天像


堂内の北西方向に廣目天像、北東方向に多聞天像が安置されています。四天王の残り2体は未完成に終わりました。
鐘楼(国宝)

大仏殿から二月堂に向かって坂を上る途中にあり、建物は鎌倉時代に再建されたものです。比較的小さな建築物ですが屋根の反りがもの凄く、水平部分がほとんどありません。

この反りを実現するため、桁の上部に三角形の詰め物が入れられていました。(赤い線は私が記入したものです)

高さ385㎝・口径271㎝・重さ26.3tという中世以前では最大の梵鐘ですから、吊り下げるのも大変です。
二月堂(国宝)

旧暦の2月に「お水取り」が行われることからこの名前になっています。大仏殿が焼失した2度の火災を乗り越えましたが、1667年のお水取りの際の失火で焼失してしまい、2年後に再建されて現在に至っています。

本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏です。
お水取りは1270年間一度も途絶えることなく続いてきた行事ですが、木造建築物でこんなことをしてきたなんて正気とは思えません。

北側の石段は長谷寺の登廊のように屋根が設けられています。

舞台の下から何やら突き出ています。

よく見るとスプリンクラーがびっしりと取り付けられていました。これならお水取りでどれだけ勢いよく松明を燃やしても大丈夫でしょう。貴重な文化財を後世に遺すというのはこれほどまでに大変なのです。
閼伽井屋(重要文化財)

二月堂に面した急斜面の下にあり、現在の建物は13世紀初頭に再建されたものと考えられています。堂内の井戸で汲んだ水を二月堂の「お水取り」で使用します。
法華堂(国宝)

旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われることから三月堂とも呼ばれています。寺伝によれば733年の創建で東大寺の建築物のなかで最も古く、数少ない奈良時代建築の一つとなっています。
外観からは想像もつかないほど堂内の天井は高く、本尊の乾漆不空羂索観音立像を中心に10体の仏像が安置されていてそのすべてが国宝です。
中央より左(赤矢印)が奈良時代に建てられた正堂で仏像を安置しており、右(青矢印)が鎌倉時代に増築された礼堂で礼拝をおこなう場所です。

建築様式の違う屋根をくっつけているため、屋根と屋根の間に水が溜まりやすくなります。そのため接続部分に雨樋が設けられています。
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