達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)の御朱印は3種類で豪快な書体です。坂上田村麻呂が戦勝のお礼に京都の清水の舞台に似せて建てたもので、アクセスはレンタサイクルで所要時間30分です。
御朱印は3種類で豪快な書体
御朱印所
御朱印は一之鳥居横の拝観受付で頂けます。こちらでは「達谷窟毘沙門堂」「姫待不動明王」「蝦夷ヶ池弁天堂」の3種類の御朱印を頂けます。
志納金300円
御朱印
今回は「達谷窟毘沙門堂」の御朱印のみ頂きました。岩壁をくりぬくような豪快な書体です。
過去に頂いた御朱印
平成29年7月5日付です。
アクセスはレンタサイクルに限る
交通
東北線平泉駅より自転車で30分
平泉観光ではレンタサイクルを利用するのが便利で、特に距離が離れている達谷窟毘沙門堂をお参りする際に威力を発揮します。
平泉駅のすぐ隣にレンタサイクル屋があり、電動アシスト付き自転車を安価で借りることが可能です。駅から毛越寺を経由して毘沙門堂までほぼ一本道で、所要時間は約30分でした。バスやタクシーでは見落としてしまいそうなポイントにも気が付くことができます。
悪路王が京都からさらってきた娘が逃げ出した際、追手が待ち伏せをした場所とされる「姫待滝」です。
見せしめとして捕まえた娘の髪を切ってかけたといわれる「髢石(かつらいし)」です。
地図
周辺の寺社
達谷窟毘沙門堂の境内
およそ1200年前、この地に悪路王・赤頭・高丸といった蝦夷がこの地に拠点を構えて良民たちを苦しめ、女子供たちを掠めるといった乱暴なふるまいをしていたため、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂がこれを成敗します。
戦勝を毘沙門天のご加護のおかげと感じた坂上田村麻呂が京都の清水の舞台に似せたお堂を建てて窟毘沙門堂と名付けたというのが公式の由緒となっています。
一之鳥居
江戸時代に達谷村の三人の石工により地元の石を使用して建立されました。
二之鳥居
三之鳥居
「一之鳥居は石之鳥居、二之鳥居は丹之鳥居、三之鳥居は杉(さん)之鳥居」と称され、特に二之鳥居、三之鳥居は独特の様式となっています。
蝦蟇ヶ池弁天堂
達谷川や北上川を美しい浮島が行き来しているのを見た慈覚大師が貧欲神の化身であるガマであると見破り、宇賀神の化身である弁財天をその上に乗せて抑え込んでいるそうです。
つまり弁天堂のあるこの島はガマであるということです。
顔面大佛
前九年後三年の役の死者を敵味方の区別なく供養するため源義家が岩壁に掘ったとされます。
もともとは胴体もありましたが、明治29年の地震で首から下が崩落してしまいました。
姫待不動堂
悪路王がさらってきた姫君を逃げないよう待ち伏せしていたことに由来します。
修理中なのか、現在はこうなっていました。
金堂
1987年に再建に着手し、1996年に完成しました。後世に技を伝えるために昔ながらの工法を用いて建てられています。
「最強のお札」がある毘沙門堂
前九年後三年の役に際しては源頼義・義家親子より戦勝祈願として寺領を寄進され、奥州藤原氏初代清衡・二代基衡が七堂伽藍を建立しました。
たびたび火災に遭って焼失しますがその都度建て直され、現在の建物は1961年のものです。
達谷窟毘沙門堂は岩壁に食い込むようにして建てられている毘沙門堂で知られています。
堂内には多数の仏像を安置している他、”最強の御札”と称される「牛王寶印」もあります。「牛王寶印」は年初に様々な加持祈禱を經て出來上がる特製の護符です。
本当に岩壁に食い込んでいるようです。
京都清水寺を模した、舞台造の建物です。
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