今回は諏訪大社下社春宮の御朱印をご紹介します。下社春宮は交通の要所である中山道沿いに位置しており、地元の古豪大工集団である大隅流が建てた社殿と敷地外にある万治の石仏で有名です。
下社春宮の御朱印
御朱印所
御朱印は石鳥居横の社務所でいただけます。待つことなくすぐに書いて下さいました。
受付時間9:00~17:00頃
初穂料500円
御朱印
令和元年12月14日付
平成29年8月19日付
どの角度から見てもかっこいい御朱印です。
諏訪大社下社の特色
ご神体は杉の古木
諏訪大社の下社も本殿を持たず、それに相当する宝殿を東西2つ持ち、御柱祭に際してその内の一つを建て替えるのは上社と同じです。下社春宮では宝殿の奥に建つ杉の古木を御神体としています。
年に2回遷座がある
下社ではこれ以外にも遷座があります。下社は建御名方神と、八坂刀売神の両神を祀っていますが、八坂刀売神は春宮に2月~7月、秋宮に8月~1月の間鎮座します。2月1日の遷座祭は秋宮から春宮、8月1日のお船祭は春宮から秋宮へと御霊代が移動します。
アクセス
交通
中央線下諏訪駅徒歩約16分
地図
他の三社の記事
下社春宮の境内
春宮大門
下社春宮は下諏訪の町の北端で下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿いに鎮座しています。春宮大門から春宮まで続く約800mの直線道路は大門通りと呼ばれています。
ここから春宮まで続く直線道路はかつては春宮専用の道路で、下社の大祝であった金刺一族を始めとする多くの武将が流鏑馬の腕を競い合った場所でした。
下馬橋
1578年に造営された諏訪大社全体で最も古い建築物です。かつてはたとえ殿様といえどもこの場所で籠や馬から降りて歩かなければならなかったのでこの名前が付いています。
現在でも年2回の遷座祭の行列の中で神輿だけが渡ることができます。
石鳥居
1659年建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿
神楽や舞を奉納したり、祈願を行う場所である神楽殿です。
縁結びの杉
先で二股に分かれていますが、根本では一つになっていることからこの呼び名が付きました。
地元の古豪大工集団が建てた社殿
幣拝殿(重要文化財)
1781年に落成した祭祀、拝礼を行う建物です。
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並んでいます。春宮と秋宮は同じ図面をもとにつくられていますが、両社の建築は彫刻において技が競われております。
春宮の社殿の彫刻は古くから諏訪地域の寺社建築を請負い、それによって技術を磨き信用を積み上げてきた地元の古豪である大隅流が手掛けたもので、藩が提示した金額の半額で、さらに秋宮より1年早く完成させてみせました。
宝殿
上社前宮以外は本殿を持たない諏訪大社においてそれに相当するのが宝殿で、ご神宝を納めています。幣拝殿の奥に東西二棟あって6年毎の御柱祭りに際して交互に建て替られ、次の祭りの際に古い宝殿から新しい宝殿にご神宝が移されます。
境内社
上諏訪社・若宮社
子安社
筒粥殿
毎年1月14日の夜から15日の朝にかけて粥を煮込み、それによって作物の豊凶や世の中を占う「筒粥神事」が行われる場所です。
下社春宮の御柱
一之御柱
一之御柱の裏側です。
下社の御柱は祭りの1年前に伐採して皮をむいた状態で保存するため軽くなっており、激しく削れていた上社本宮と違って出っ張っている部分だけが削られた様子です。
二之御柱
三之御柱
四之御柱
万治の石仏
岡本太郎が絶賛したことで有名になった「万治の石仏」は徒歩5分くらいの場所にあり、春宮とほぼセットのような存在となっています。
1657年に春宮に石鳥居を奉納しようとして職人たちが巨石にノミを打ち込んだところ何と石が血を流しました。祟りを畏れた職人たちは大鳥居を断念し、改めて阿弥陀仏を刻んで建立したのがこの像です。
御柱祭の見物の際に石仏を紹介された岡本太郎はそのユニークな風貌を激賞し、その後何度も下諏訪を訪れたそうです。
商工会議所推奨のお参りの仕方がありました。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。