四国八十八ヶ所霊場の第八十六番札所の志度寺ではどっしりとした書体の御朱印を頂けます。大化の改新で有名な中臣鎌足の息子である藤原不比等にまつわる寺院で、落ち着いた境内では五重塔が印象的でした。
志度寺の由緒
志度寺は四国八十八ヶ所霊場の第八十六番札所です。創建されたのは626年で、志度浦に流れ着いた檜の霊木から凡薗子尼が本尊の十一面観音を刻んで祀ったことがきっかけとされています。681年に藤原不比等がお堂を増築し、693年には不比等の子の藤原房前がさらにお堂を建て、寺名を志度寺と改めました。
9世紀前半には弘法大師が巡錫で訪れ、伽藍を修理したといいます。室町時代になると敷地内および近隣に多くの塔頭を持って栄え、その後戦乱により荒廃するものの、江戸時代に高松藩主の保護を受けて再興しました。
四国八十八か所霊場の札所としての歴史を示す景観が良好に残されているとして国の史跡に指定されています。
志度寺の御朱印
御朱印所
志度寺の御朱印は山門をくぐって右手奥にある納経所で頂けます。
応仁の乱における東軍総大将として知られる細川勝元が完成させたという枯山水の庭園が納経所から見えます。
初穂料300円
※四国八十八箇所霊場の納経料は2024年4月1日より500円に値上げされました。
御朱印
いかにも仏教寺院というようなどっしりとした書体の御朱印です。
アクセス
交通
ことでん志度線、「琴電志度」駅より徒歩約8分(約0,6㎞)
高徳線「志度」駅より徒歩約9分(約0,7㎞)
地図
五重塔が印象的な志度寺の境内
仁王門
1670年に初代高松藩主で水戸光圀の兄で松平頼重に寄進されたもので、国の重要文化財に指定されています。
五重塔
地元出身の実業家により寄進されたもので、高さ約33mで1975年に完成しました。
境内のどこからでもよく見え、寺のシンボルともいえます。
本堂
1670年に初代高松藩主松平頼重に寄進されたもので、国の重要文化財に指定されています。 毎年7月16日と17日午前中に本尊と脇仏の開帳を実施して堂内を見学できます。
大師堂
焔魔堂
十一面閻魔大王を祀っており、毎月17日に開帳します。1671年に初代高松藩主松平頼重に寄進されたものです。
海女の墓
「海女の玉取り」伝説に基づくもので、境内の北側にあります。
藤原不比等は唐より授かった「面向不背の珠」という宝珠を志度沖で龍神に奪われ、それを取り戻すために都から身分を隠してこの地を訪れます。その際にこの地の海女と恋仲になり、後に藤原房前となる子が誕生しました。事情を聞かされた海女は海に潜って龍神と闘い、玉は取り戻すものの自身は亡くなってしまいます。
後に大臣となった房前が母の冥福を祈って石塔を建てたといわれています。
境内は落ち着いた雰囲気だった
四国八十八ヶ所の霊場といえど立地や規模等によって各札所の賑わいは天と地ほど違います。平日の日中と言うこともあって参詣客の数は少なかったのですが、その分だけ落ち着いた雰囲気の境内をじっくりと楽しむことができました。
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