今回は1400年近い歴史を持つ東京最古の寺院である浅草寺の御朱印をご紹介します。東京を代表する観光地でことあるごとにニュース映像に登場する場であり、新型コロナウィルス蔓延によるステイホーム期間中は人通りの絶えた仲見世の衝撃的な映像を見せられました。緊急事態宣言が解除されて街に人が戻りつつある中、浅草がどうなっているか確認しに行きました。
浅草寺の御朱印
御朱印所
浅草寺の御朱印所は本堂左手の西境内にある影向堂内にあります。大抵の場合はお堂の外まで行列ができているのですが、この日は待ち時間ゼロでした。
受付時間9:00~17:00
志納金500円
御朱印帳
浅草寺では様々なデザイン・カラー・サイズの御朱印帳を扱っています。
価格1300円~3000円
写真は「紺地に金龍」の御朱印帳。大サイズで1500円です。私の通算で11冊目の御朱印帳で紙質が特に素晴らしく、王子稲荷神社の神職の方から「大変に書きやすい」と称賛されました。
御朱印
こちらでは御本尊の聖観世音菩薩と浅草七福神である大黒天の2種類の御朱印がいただけます。
東京最古の寺院にふさわしい御朱印です。
間紙
浅草寺で御朱印を頂く際に間に挟む間紙には「御朱印について」という文章が印刷されており、お参りもせずスタンプラリーのようにただ御朱印だけを集めてまわる一部の人々に苦言を呈しています。
お寺や神社をお参りする上で当たり前の内容ではありますが、改めて注意するようにしましょう。
コロナ禍での現状
乃木坂46のMVで見た衝撃的映像
2020年4月7日に発出された新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言により不要不急の外出自粛が呼びかけられ、ほとんどの施設が営業を自粛したこともあって多くの地域で人出が激減しました。
乃木坂46が感染拡大防止の呼び掛けを目的として発表した「世界中の隣人よ」のMVにはすっかり人がいなくなってしまった各地の衝撃的な映像がいくつも挿入されており、開始2分4秒のところで人が2人しか歩いていない浅草寺の仲見世が映し出されています。(一見すると写真だがよく見ると全て動画)
初めて見たときには胸に突き刺さった映像ですが、緊急事態宣言が5月25日に解除されて一カ月以上経過し、いつの間にか街に人がいるのが当たり前の状況に戻っています。東京で新規感染者が4日連続100人以上(7月5日現在)という新たな段階を迎える中、浅草が現在どうなっているか確認してみたくなりました。
浅草寺に人は戻っているのか
「世界中の隣人よ」のMVの頃に比べればかなり人は戻っているようですが、正直なところもう少し混雑しているかと思っていました。
以前お参りした際(一昨年の初夏だったと思う)の混雑状況にはまだほど遠く、今見ると「密」としか思えない当時の映像に比べると月とスッポンです。「自粛疲れ」とは言いますが、感染が再び拡大傾向にある中で「観光地に繰り出そう」というような気分にはまだまだなれないのでしょう。
千年間秘仏の観音像を本尊とする浅草寺
628年に隅田川で漁をしていた兄弟の網に観音像がかかりました。これを見た兄弟の主人が自宅を寺に改め本尊として祀ったのが浅草寺の起源であり、東京都内で最古の寺院であるとされています。世界最古の木造建築とされる法隆寺の創建が607年、聖徳太子が亡くなったのが622年ですからほぼ同時代です。
645年、勝海上人という僧が当山に立ち寄り観音堂を修造しましたが、ある夜、上人の夢に観音さまが現れ、「みだりに拝するなかれ」と告げられました。以来今日まで、ご本尊を厨子(御宮殿)深く収めて奉安しています。
従って約1400年以上秘仏であり続けていることになります。
アクセス
交通
東武線・浅草線・銀座線浅草駅徒歩約5分
地図
浅草寺の境内
浅草寺は広大な境内に数多くのお堂が並んでいます。
雷門
雷門は1865年に火災により焼失してしまい、それ以降約100年間「門なき雷門」状態となっていました。そこで松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之氏が1960年に再建し、それ以降10年ごとに大提灯の修復が行われています。
関節痛が治ったことに対するお礼で松下氏個人としての寄進であり、「なるべく名前は出さない」という条件付きだったといいます。
宝蔵門
浅草寺山門の宝蔵門は東京大空襲で焼失し、昭和39年に再建されました。
五重塔
昭和48年に再建された現在の五重塔は鉄骨鉄筋コンクリート造です。
本堂
国宝に指定されていた浅草寺の旧本堂は東京大空襲で焼失し、昭和33年に再建されたのが現在の本堂です。長い歴史の中で20回近く焼失と再建を繰り返しています。
先の大戦末期には御本尊を逗子ごと天水桶に納め、本堂の地中深くに埋めたことにより戦火を逃れました。
千年間秘仏の本尊は実在するのか
本堂には本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれています。
千年以上の長期にわたって秘仏とされてきたためその存在が疑問視され、徳川幕府や明治政府といった時の権力者との間で「見せろ」「見せない」といった攻防があったようです。
明治政府の役人が帰った後、「住職でありながら本尊の有無を確認していないのは無責任」ということで当時の住職が仏罰を覚悟の上で厨子の扉を開いたところ、伝承通りの高さの観音像があったと言われています。
浅草寺の西境内
本堂西側の西境内には御朱印所の影向堂を始めとして様々なお堂があります。こちらも併せてお参りしてみてはいかがでしょうか。
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◆御朱印所に「御朱印の心得」が張り出されている明月院
◆浅草と並び江戸時代は庶民が繰り出す場であった湯島天神
◆悪疫退散を求めてお参りした神社