鎌倉の佐助稲荷神社では書置きの御朱印を頂けます。鎌倉幕府成立と深く結びついた歴史を持つ神社であり、千本鳥居が印象的な境内には多くの見どころがあります。
御朱印以外にもいろいろやっています
御朱印は書置き
御朱印所

佐助稲荷神社の御朱印は社殿向かって右手の社務所で頂けます。こちらでは土日限定・十一面観音・季節限定の3種類の書置き御朱印を頂けます。コロナ禍が過ぎ去っても書置きのままだったのは残念です。
受付時間 9:00~16:30
初穂料 500円~700円
御朱印

今回は土日限定の御朱印を頂きました。
過去に頂いた御朱印

2022年8月12日付で、この時も書置きでした。

2016年12月26日付でこの時は直書きです。

この頃は社務所で御朱印帳に印だけ押してもらい、兼務社の御霊神社で書き入れて仕上げるという変則的なシステムでした。
オリジナル御朱印帳
佐助稲荷神社では美しいデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。
サイズは小型のみで、紙質は普通でした。
価格 2500円
「佐殿」を助けた稲荷神社
佐助稲荷神社は鎌倉市佐助にある稲荷神社で、出世開運・商売繁盛・縁結びなどを願う稲荷信仰の場として人々に親しまれてきました。創建年代は不詳ではあるものの鎌倉幕府成立と深く結びついた歴史を持っており、頼朝ゆかりの歴史資産として鎌倉観光の人気スポットとなっています。
平治の乱に敗れた源頼朝は配流先の伊豆で日夜平家討伐を念じていました。そんな頼朝の夢枕に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁姿の稲荷神が現れて挙兵を勧め、その時期まで示したといいます。
頼朝は1180年8月に平家打倒の挙兵に踏み切り、その後紆余曲折はあったものの1185年の「壇之浦の戦い」で平家を滅ぼすことに成功します。念願かなって平家打倒を成し遂げることができたことから頼朝は畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て、稲荷神のご加護に感謝し社殿を造建しました。
「前右兵衛権佐」であった頼朝は人々から「佐殿(すけどの)」と呼ばれており、「佐殿を助けた」ということでこの地域は「佐助」と呼ばれるようになります。流人だった頼朝を武家の棟梁である征夷大将軍にまで導いたことになり、佐助稲荷神社は出世稲荷として信仰されるようになりました。
アクセス
交通
横須賀線・江ノ電鎌倉駅徒歩約20分

鎌倉佐助の静かな住宅街にある道を抜けた突き当りにあります。集団でゾロソロ歩くことは憚られるような雰囲気でした。


以前に下社があった場所が更地になっていました。
地図
千本鳥居が見られる神社(記事は下に続きます)
境内の見どころを徹底紹介
住宅街から千本鳥居を経てたどり着いた境内は緑豊かな空間となっており、神秘的な雰囲気に満ちていました。
社号標

下拝所

坂を上がって拝殿まで行くことが困難な方はこちらにお参りします。
鳥居

京都の伏見稲荷大社を思わせる鳥居が49基建てられています。


神が住む神域と人間が住む俗界を区画する結界が鳥居であり、朱色のトンネルを抜けることで下界から神聖な空間に足を踏み入れたという感覚を味わうことができます。
拝殿


初めてお参りした頃の拝殿(上)は老朽化が進んだ古びた建物でしたが、「世界最古の企業」金剛組の手で建て替えが進められ、2020年に新しい拝殿(下)が竣工しました。
本殿

拝殿裏の階段を上がりきったところにあります。


本殿も真新しくなっていました。
祠


800年以上前から続く佐助稲荷の境内には奉納された古い石の祠が数多くのこされています。

13世紀半ばに鎌倉で疫病が流行った際、佐助ヶ谷に住んでいた良忠が子供にいじめられていた子狐を助けたといいます。すると良忠の夢枕に親狐が現れ、子狐を助けてもらったお礼に枕元に薬種を残していったといいます。これにより疫病を鎮めることができたことから、佐助稲荷では願掛けの際に一対の白狐を供えるようになりました。
霊狐泉

この地の田畑を潤していた水源地を霊狐泉として讃えています。
十一面観世音菩薩

良縁に恵まれなかった美しい姫君である赤松幸運が出家し、現世の若い男女に良縁があるようにと祈願して十一面観世音菩薩を彫ったと伝えられていています。
かつては鳥居の下の下社に置かれていましたが現在では拝殿の横に遷されており、毎年5月18日に御開帳されます。
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