出雲の長浜神社の御朱印は何と13種類あり、その中で金文字と青龍の御朱印を直書きして頂きました。稲佐に浜から南西方向に伸びる「薗の長浜」に面した高台に位置する神社で、出雲造の堂々たる本殿が印象的でした。
御朱印は13種類いただける
長浜神社では御朱印は何と13種類あります。コロナ対策で書置き対応という寺社が多い中、御朱印帳に直書きして頂けました。
御朱印所
御朱印は拝殿向かって左手の社務所で頂けます。
初穂料500円
御朱印
13種類の中から2種類頂きました。(後日もう一種類頂きました。)
金文字の御朱印
青竜天に昇る
鯉のぼり
この日は宮司が不在だったのか書置き対応でした。
国引き神話の綱が長浜になった
長浜神社は「国引き神話」に由来しており、神話の主人公である八束水臣津野命(やつかみずおみずぬ)を主祭神とする神社です。
正式にはこちらの「浜」を使用するようです。
八束水臣津野命は「出雲国を小さく作りすぎてしまった」と考え、作り足して大きくするために国引きを決意します。継ぎ足して縫い合わせられるような土地を探して遠く「志羅紀(新羅)」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、太い綱をかけて引き寄せて元の国に縫い合わせました。神話によればこうして現在の島根半島が出来上がりました。
島根県最大の海岸砂丘で、稲佐の浜から南西方向に伸びる「薗の長浜」は「志羅紀(新羅)」を引き寄せた綱であるとされています。
長浜神社の創建は710年よりも以前で、出雲国の総鎮守として八束水臣津野命とその家族を薗の長浜の妙見山に祀りました。
戦国時代には大内、尼子、毛利といった中国時代の諸大名から寄進を受け、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には加藤清正や片桐且元らが参拝しました。それが緒戦の連戦連勝に結びついたということで秀吉より恩賞を受け、現在でも「武道・スポーツ上達の守り神」のみならず「勝負に勝つ神」として広く信仰を集めています。
アクセス
交通
出雲大社より車で約20分
出雲の観光ガイドにおいてはよく「出雲大社より車で〇〇分」という表現が使用されています。バスの本数が少なく公共交通機関はほとんどないと言っても良い状況なので、出雲の神社を巡る場合はレンタカーを利用するしかありません。
地図
堂々たる本殿が印象的な境内
道路沿いの看板
ナビに言われるがままに車を走らせていると道路沿いに看板が出現しました。これだけが目印です。
石灯篭
石燈籠の奥に道が3本に分かれています。向かって左手が駐車場です。
石鳥居
隋神門
厳藻かけ
出雲では忌明の際に海で体を清め、その証拠として海藻を持って神社をお参りする習慣があります。この海藻は「いずも」と呼ばれ、「出雲」の語源になりました。
拝殿
出雲流の注連縄は稲わら千五百把を使用しています。
社殿は1675年に焼失し、江戸時代の中期に再建されました。
本殿
出雲大社と同様に大社造と呼ばれる独特の様式で建てられており、柱の上に設けられた高い床、建物を覆う檜皮葺き大屋根、屋根の両端に交差して置かれた2本の千木、水平に置かれた勝男木等の特徴があります。
弓掛けの松
朝鮮出兵に際して100日祈願をした片桐且元が弓矢をかけた松です。1973年に枯死してしまいましたが、根元が残存しています。
三ツ鳥居
両脇に小さな鳥居を連結した「三ツ鳥居」は全国でも大変に珍しいものです。大和の国の一宮、大神神社も鳥居にちなんでいます。
三ツ鳥居が見られる神社
夫婦岩
三社鳥居の奥にあります。男石・女石を撫で、夫婦円満や子授け祈願を行います。
境内社
坂下荒神社
天神社
稲荷神社
身代わり稲荷と言われ、平成3年に台風19号がこの地に襲来した際、地域の被害を一身に受けました。
春日神社
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