群馬県の妙義神社では歴史の深さを感じる御朱印を頂けます。境内はアニメ「鬼滅の刃」のモデルとなったと言われており、アクセスはタクシーか徒歩しかありません。
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妙義神社の直書き御朱印
御朱印所
妙義神社の御朱印は総門をくぐってすぐ右手の札所で頂けます。御朱印は1種類だけのようです。
受付時間 9:00~17:00
初穂料 500円
御朱印
歴史の深さが感じられる直書き御朱印です。
オリジナル御朱印帳
妙義神社ではカラフルなオリジナル御朱印帳を扱っています。有名な「大の字」がここにも描かれています。
価格1500円
なぜ「妙義」神社か?
妙義神社は妙義山の主峰白雲山の東山麓に鎮座しており、奇岩と怪石と老杉が生い茂る風景は古くから人々の信仰の対象となっていました。創建は537年で当初は「波己曽(はこそ)の大神」と称しており、後に妙義と改められました。
「妙義」という名の由来は諸説あります。
後醍醐天皇に仕えた権大納言長卿がこの地に住み、明々魂々たる山の奇勝をめでて明魂と名づけたものが後に「妙義」となったという説。大きくて威厳のある様を指す「明々巍々(めいめいぎぎ)」が「明巍」となり、更に訛って「妙義」になったという説。ざっと調べただけでもこれだけ出てきます。
古くから開運・商売繁昌の神・火防の神・学業児童の神・縁結の神・農耕桑蚕の神として広く世に知られ、またその立地から江戸の北西方向の鎮とされてきました。そのため江戸庶民から徳川将軍家に至るまで幅広い階層の信仰を集めてきました。
あの「大」の字は何なのか?
妙義山の中腹、標高800m付近の場所に白い「大」の字が据え付けられています。
これは妙義神社の妙義大権現を省略したものであり、江戸時代に建立されました。妙義神社にお参り出来ない村人などが代わりに中山道の安中、松井田宿から遥拝したといわれています。
江戸時代に建立された大の字はワラ束を糸で巻いたものにご紙束をつけた竹串を刺したものだったといいますが、現在は時代の変遷により鉄製となっています。
この「大」を目指すための登山道もあるそうです。
この大の字はかなり遠方からでも見分けることができます。
アクセスはタクシーか徒歩
交通
JR信越線松井田駅よりタクシーで約10分
現在松井田駅は無人化されており、駅周辺は閑散としています。
タクシーは電話をして呼ぶ必要があります。私の場合、行きは待ち時間10分くらいで来てくれましたが(料金2100円)、帰りは「すぐには行けない」と断られてしまいました。仕方なく歩いたところ、妙義神社から松井田駅までは下り坂が続くため約50分で済みました。
車の場合、「道の駅みょうぎ」内にある「みょうぎ物産センター」の駐車場を利用します。
地図
群馬県の代表的寺社
「鬼滅の刃」のモネルと言われる境内
境内の建築物は江戸時代初期から中期にかけてものものばかりであり、この時代の建築物特有の壮麗さを持っています。
妙義神社の独特な雰囲気・妙義山の壮大な景観・周辺の神秘的な風景といったものがアニメ「鬼滅の刃」に登場するシーンに酷似していると言われ、モデルなのではないかと考えられています。
一之鳥居
1974年に建てられたものです。
総門(重要文化財)
1773年の建立です。
かつて存在した妙義神社別当寺の石塔寺の仁王門だった建物で、神社の総門となった現在でも左右に仁王像が安置されています。
波己曽社殿
1656年に建てられたものです。
銅鳥居
1719年に建てられました。
太鼓橋
石段
165段の石段がまっすぐに延びています。(傾斜がゆるい脇参道もあります。)
傾斜に加えて相当なうねりがあり、上りづらさではトップクラスではないかと思います。
上りよりも下りの方が怖いです。
隋神門
石段を上がりきった先にあります。
唐門(重要文化財)
1756年に建てられたものです。
見事な彫刻と絵で装飾されています。
石垣と塀
透塀は国の重要文化財です。
拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)
1756年に建てられたもので、代表的な権現造です。
見事な彫刻で装飾されています。
正面の「上り龍と下り龍」や両脇の「竹林の七賢人」が特に有名です。
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