室生寺(むろうじ)の御朱印は境内の3か所で12種類頂けます。奈良時代に創建された歴史ある寺院で、国宝の金堂と五重塔が見どころです。アクセスは近鉄「室生口大野」駅から毎時1本のバスしかないようです。
御朱印は12種類で直書き
御朱印所は3か所
室生寺では仁王門(上)、灌頂堂(中)、奥の院(下)の3か所で御朱印を頂けます。
頂ける御朱印は3か所で合計12種類です。
受付時間 9:00~16:00
志納金 300円
御朱印
今回は3か所の御朱印所で各1種類づつ頂きました。
仁王門
悉地院(灌頂堂別称)の御朱印を頂きました。
灌頂堂(本堂)
如意輪観世音の御朱印を頂きました。
奥の院
弘法大師の御朱印を頂きました。
御朱印帳は4種類
室生寺の御朱印帳はすべて大型サイズで紙質は普通です。
こちらでは今まで見たことのないような厚さの御朱印帳を販売していました。
価格1200円~2700円
「女人高野」と呼ばれる歴史
室生寺は奈良時代の終わりである8世紀末であるとされています。
室生の地は火山性地形のため奇岩や洞穴が多く、これが竜神の住み家と信じられていたためこの地は霊地とみなされていました。そのため皇太子山部親王が病になった際には5人の僧が室生山に派遣されて山中で祈祷が行われ、すると病が治まります。山部親王は即位して桓武天皇となり、5人のうちの1人である興福寺の賢璟に命じて建立させたのが室生寺です。
室生寺は長らく興福寺の末寺でしたが、江戸時代の1694年に真言宗の僧である降光が拝領し真言寺院となり、翌年には徳川綱吉の母である桂昌院の寄付により堂塔の修理が実施されました。
同じ真言宗の高野山金剛峰寺が「女人禁制」であったのに対して室生寺は江戸時代以前から女性の参拝を認めており、そのため「女人高野」と呼ばれて多くの女性に親しまれています。
アクセスは近鉄からバス
交通
近鉄「室生口大野」駅下車 室生寺行バス終点下車(所要約14分)徒歩約5分。
駅の改札から外に出るとすぐ前にバスが待っています。
時刻表を見てびっくりしました。バスは1時間に1本ですので十分に注意して予定を組んでください。帰りのバスも同じ頻度ですので、お参りの前にバスの時間を控えておくことが必要です。
地図
境内の見どころは金堂と五重塔
境内案内図
太鼓橋
室生川の清流に架けられており、この橋を渡ると室生寺の境内となります。土産物屋や茶店の列を抜けるといきなり出現します。
山門
仁王門
鎧坂
仁王門をくぐって最初に現れる急な石段で、上がりきると正面に金堂があります。
金堂(国宝)
平安時代初期である9世紀後半に建てられた正堂の手前に、梁間1間の礼堂が孫庇として江戸時代に設けられました。
祀られている釈迦如来立像(国宝)はもともと薬師如来立像として造立されたもので、建物の規模と比較して不自然なほど大きく、礼堂からは少しかがんで内部を覗き込むようにしないと頭部まで見えません。
弥勒堂(重要文化財)
金堂に向かって左手にある鎌倉時代前期の建物で、興福寺の伝法院を移築してきたものです。
本堂(国宝)
1308年に建てられたもので、金堂からさらに石段を上がった場所にあります。
重要文化財の如意輪観音菩薩像を祀っています。
五重塔(国宝)
800年ごろの建立で五重塔としては法隆寺に次いで2番目に古く、高さ約16mは日本最小です。
1998年に台風による倒木が西北側の屋根を直撃しましたが塔の根幹部分は無傷で、2000年に修理が完了しました。この時に実施された調査で794年ごろに伐採された材木を使用していることが判明しました。
各地の五重塔
奥之院まで続く悪魔の石段
奥之院へは五重塔の脇の道を進み、一旦下ってからとんでもなく急な石段を上がりきらなくてはなりません。
無限に続いているように見える悪魔のような石段は約400段と言われています。
奥之院位牌堂の懸造り部が見てくるころには足はもう限界に近くなっています。
五重塔から奥之院にたどり着くまでの動画です。
奥之院
位牌堂
1935年に建てられたものです。
堂々たる懸造りの建物です。
御影堂(重要文化財)
鎌倉時代後期の建物で、全国各地にあるだいしどうの中でも最古の物の一つです。
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