興福寺では直書きの御朱印を頂けます。多くの国宝や重要文化財を鑑賞することができますが、五重塔は2032年3月までの予定で保存修理工事が進行中です。
是非こちらもご覧ください
興福寺の御朱印は直書き
御朱印所

興福寺の御朱印は南円堂納経所のみで頂けます。2021年は勧進所でも頂けましたが、変わりました。

御朱印は9種類で、どうやら全て直書きのようです。
受付時間 9:00~17:00
志納金500円
御朱印

優雅な書体で「中金堂」と記されています。
過去に頂いた御朱印
全て2021年12月9日付けです。

東金堂の御朱印です。「西国四十九薬師霊場開創三十周年」の印も押されています。

東金堂の本尊である薬師如来の御詠歌が記されています。

「維摩経」の一説である「福力を興さしむ」から寺名の由来となった「今興福力」が書かれています。

国宝館の本尊である千手観音の御朱印です。

南円堂の御朱印は西国三十三ヶ所観音霊場第九番札所の御朱印になります。
オリジナル御朱印帳
興福寺では美しいデザインのオリジナル御朱印帳を数多く扱っています。サイズは大・小で、紙質は極上でした。
価格 2000円~2400円


法隆寺に引き続きこちらでも購入しました。通算で26冊目です。

2021年にお参りした際に購入した通算15冊目の御朱印帳で、表紙には五重塔と北円堂の意匠が施されています。
興福寺の由緒
興福寺の創建は669年で、藤原鎌足夫人が夫の病気快癒を願って京都の山科に建てた山階寺が起源とされています。山階寺は672年に藤原京に移転して厩坂寺と改称し、710年の平城京遷都に際しては藤原不比等によって現在の地に移転され、ここで興福寺と名付けられました。
藤原氏と関係の深い寺院であったことから興福寺は手厚い保護を受け、平安時代には大和国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となるまでになります。天皇や皇后、藤原氏らによって次々と堂塔が建てられて最盛期にはその数が百を超え、影響力は比叡山延暦寺に匹敵するほどだったといいます。
鎌倉時代以降も興福寺は大和国の実質的な支配者であり続け、江戸幕府においても広大な寺領を認められるなど強大な力を持ち続けます。そのため失火や兵火、落雷により度々火災に見舞われたものの、その都度再建を繰り返すことができました。しかし1717年の大火災で中金堂、西金堂、講堂、南大門などが焼失した際には幕府や朝廷などの支援を受けることができず、再建資金を捻出することができませんでした。
さらに明治になってからの神仏分離令とそれに伴う廃仏毀釈により大打撃を受け、寺領を没収されて多くの堂塔が解体されるなど興福寺は廃寺同然の状況となります。
この後、廃仏毀釈の嵐が収まると1881年に寺の再興が許可されてそれ以降復興が進み、1998年に世界遺産に登録されました。
アクセス
交通
近鉄奈良駅下車約7分
JR奈良駅下車約15分
地図
近隣の寺社(記事は下に続きます)
境内の見どころ
興福寺の境内は平城京の中でも高台で地盤の良い場所にあり、広大な敷地に数多くの建物が並んでいます。全てが一斉に建てられたのではなく、中金堂の着工(710年頃)から南円堂の落慶(813年)まで約100年かかっています。
全体計画のようなものがあったわけではなくその都度その都度計画されたもので、様々な様式の建物がてんでんばらばらに並んでいます。
境内案内図

北円堂(国宝)

藤原不比等の一周忌である721年に建てられてもので、1180年に焼失した後に1210年頃再建されました。日本に現存する八角円堂の中で最も美しいと評価されており、法隆寺の夢殿より引き締まって見えました。
「平城京を一望の下に見渡せる一等地」ということで北円堂に最初に来ましたが、現在は周辺に様々な建物があってそれほどの眺望ではありませんでした。
南円堂(重要文化財)

藤原冬嗣が父を弔うために813年に建てたものです。その後は焼失と再建を繰り返し、現在の建物は1789年に再建されたものです。
西国三十三ヶ所観音霊場第九番札所であり、江戸時代に寺社巡りが大ブームとなると興福寺を財政面で支えるドル箱的存在となりました。そのため南円堂の再建は中金堂より優先されたといいます。

約90年先に建てられた北円堂を参考にしつつ、何とかしてより大きな建物にしようというライバル意識が感じられました。
中金堂

興福寺伽藍の中心に位置する最も大切な建物です。藤原不比等による創建の後に焼失と再建を6回繰り返しますが、1717年の焼失後は財政的な問題から長らく再建されませんでした。

それでも1819年に仮堂が建てられ、1974年には薬師寺の旧金堂を仮金堂として移築してきました。創建1300年の2010年に中金堂再建工事が開始され、2018年に落慶したのが現在の中金堂です。
堂内はかなり大きな空間となっており、巨大な仏像が並んでいるものの全体としてはスカスカであったように思います。金ピカな本尊の釈迦如来坐像を始めとして全ての仏像が怖い顔で睨んできており、大勢から寄ってたかって詰問されているような気分になりました。
仮講堂

もともとは薬師寺の金堂だった建物であり、1974年に興福寺の仮の金堂として移築してきました。
新しい中金堂が落成したことから仮金堂としての役割を終え、今後は講堂としての役割が期待されていることから仮講堂という名になっています。
五重塔(国宝)


北円堂のあたりから本来なら(上)のような景色が見えるはずだったのですが、2032年3月までの予定で保存修理工事が進行中で(下)のようになっていました。奈良へ行こうと思い立った理由の四分の一が興福寺五重塔(他の三つは唐招提寺・法隆寺・巾着きつねうどん)だったので実に残念でしたが、貴重な文化財を後世に遺すためにはやむをえません。

現在の建物は1426年に再建された日本で2番目に高い塔で、こうして見ると塔は裳階(もこし)が無い方がスッキリとして恰好いいように思います。
※裳階についてはこちらで詳しく書いています。
薬師寺の直書き御朱印の魅力と見どころを徹底紹介 - 全国の御朱印を制覇したい!!
法隆寺の直書き御朱印の魅力と見どころを徹底紹介 - 全国の御朱印を制覇したい!!
東金堂(国宝)

726年に聖武天皇が叔母である元正太上天皇の病気快癒を願って建てたもので、薬師如来の東方瑠璃光浄土の姿を体現した西向きの建物です。焼失と再建を5回繰り返し、現在の建物は1415年に再建されました。

本尊の薬師如来坐像(重要文化財)は高さ2.5mの堂々たる姿です。中金堂の半分くらいの空間に数多くの仏像が密集しており、とてつもない「圧」を感じました。
三重塔(国宝)

1143年に建てられ、1180年に焼失したもののすぐに再建された興福寺でも最古の建物です。初重は仏堂であるためずんぐりとしており、心柱は二重目から立ち上がっているといいます。
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。