こんにゃく閻魔として知られる小石川の源覚寺はこんにゃくをお供えすることから呼ばれるようになった名前で、焔魔堂には現在もこんにゃくが山積みになっています。こちらでは「蒟蒻閻魔」と「毘沙門天」の2種類の御朱印をいただけます。
こんにゃく閻魔の御朱印は2種類
御朱印所
源覚寺の御朱印所は本堂前にあり、「蒟蒻閻魔」と小石川七福神の「毘沙門天」の2種類いただけます。
志納金300円
このような物も扱っています。
御朱印
蒟蒻閻魔
毘沙門天
実にカッコいい書体です。
江戸時代から190年以上続く老舗和菓子屋のとろける生大福
こんにゃく閻魔の由緒
伝通院三世の隠居の地として創建された源覚寺
源覚寺は増上寺の18世住職にもなった定誉随浪上人伝通院三世の隠居の地として1624年に創建されました。江戸時代にこの地域の大半は伝通院の寺領であったといい、小石川という地名も伝通院の前の川に小石や砂が多かったことからついたという説まであります。
本尊として阿弥陀如来像を祀り、そのほかに鎌倉時代の作と伝わる閻魔の木像を寺宝としています。
その後「明暦の大火(1657年)」「お薬園火事(1762年)」「戸崎町火事(1774年)」「富坂火事(1884年)」と4回も火災に遭いますが本尊や閻魔像は被害を逃れ、関東大震災や東京大空襲においても無事でした。
閻魔の木像が「こんにゃく閻魔像」と呼ばれる
寺宝の閻魔の木像は「こんにゃく閻魔像」と呼ばれています。18世紀の中ごろに一人の老婆が眼病を患い、源覚寺の閻魔大王像に日々祈願していたところ老婆の夢の中に閻魔大王が現れて「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて治してあげよう」と告げました。満願の日に老婆の眼は治りますが代わりに閻魔像の右目が割れて黄色く濁ってしまい、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物であるこんにゃくを断って閻魔大王に供え続けたといいます。
これにより閻魔像は「こんにゃく閻魔」と呼ばれ、眼病治癒のご利益で人々の信仰を集めています。
アクセス
交通
丸ノ内線後楽園駅徒歩約3分
地図
日本人で良かった。四季と大福は日本の宝物。水、餅、餡、技にこだわり続けた大福の圧倒的なくちどけ
こんにゃくが山積みされた焔魔堂が印象的な境内
「こんにゃくえんま」は源覚寺が面する交差点の名前にもなっています。
汎太平洋の鐘
1690年に鋳造されたものですが、昭和12年に当時日本領だったサイパン島の南洋寺に搬出されました。先の大戦によるゴタゴタの中で行方不明になりましたが、昭和40年にテキサスで発見され昭和49年に源覚寺に変換されています。
南洋群島物故者慰霊像
先の大戦においてサイパンなど南洋諸島で犠牲になった人たちを追悼する菩薩像です。
塩地蔵
1624年の開山以前からこの地にあって人々の信仰を集めていたと伝えられるもので、地蔵尊の自身治したい部分に相応する箇所に塩につけるとご利益があるといいます。
本堂
源覚寺の旧本堂は関東大震災や東京大空襲の災害からも逃れましたが、老朽化が進行したため昭和54年に現在の建物に建替えられました。
閻魔堂
鮮やかな朱色が印象的な現在の建物は平成15年に再建されたもので、祀られている「こんにゃくえんま像」は鎌倉時代運慶派の仏師の作と推定されています。
伊勢原の日向薬師でも見られた寺院によくある彫刻で、一見すると象のようですが伝説上の生き物である「獏」という説もあるようです。体は熊、鼻は象、目は犀、尻尾は牛、足は虎に似せて造られており、中国においては邪気を払う動物と考えられていたといいます。
境内社
境内社の毘沙門天は小石川七福神のひとつになっています。
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