今回は諏訪大社上社前宮の御朱印をご紹介します。諏訪大社は上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)の二社四宮からなっており、巨木を坂から落とす御柱祭で有名です。上社前宮には四社で唯一の本殿があり、神々しい雰囲気が印象的でした。
諏訪大社上社前宮の御朱印
御朱印所
御朱印は社務所で頂けます。参詣客は多かったのですが、待たされることなくすぐに書いて下さいました。
受付時間9:00~16:00頃
初穂料500円
御朱印
令和元年12月14日付
平成29年8月19日付
格付けの高い神社としての品格が感じられます。
神々しい雰囲気の本殿
前宮は江戸時代までは「前宮社」として上社の摂社でしたが、明治になって上社の前宮に定められました。そのため拝殿後背の守屋山を御神体とする本宮、敷地内の御神木を御神体とする下社に対し、上社前宮だけは本殿があります。
諏訪大社上社前宮の本殿はうっそうとした森の中に鎮座しており、他の三社と比べると素朴ではありますが、その分だけ神々しい雰囲気を醸し出しています。
諏訪明神を巡る神話
創建の年代は不明ですが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在しています。御祭神は建御名方神と八坂刀売神の2柱で、HPでは単に諏訪明神と記述されています。
建御名方神は大国主命の子で、国を譲るよう迫ってきた武甕槌大神(鹿島神宮の御祭神)に力比べを挑んで投げ飛ばされ、出雲から逃げ出したという神話があります。武甕槌大神に追われて諏訪まで来た建御名方神はこの地から出ないことを約束したことで殺されることを逃れました。鹿島神宮の社殿が西向きなのは鹿島の真西に位置する諏訪を見張るためだともいわれています。
建御名方神は男神で八坂刀売神は女神です。諏訪湖が結氷した際に湖面に発生する亀裂は御神渡りといわれますが、これは上社の建御名方神が下社の八坂刀売神のもとに偲んでいった跡だとされています。
諏訪祭祀発祥の地である上社前宮
諏訪大社では神職の最高位を「大祝(おおほうり)」と呼び、御神体と同一視された現人神のような存在でした。
敷地内の大半を占める広場を「神原(ごうばら)」とよびます。かつて郷原には大祝の居館である「神殿(ごうどの)」とそれに付属する建物が立ち並び、上社の重要な神事のほとんどがこの地で行なわれたため、前宮は諏訪祭祀発祥の地とされています。
室町時代に神殿が移転するとそれにあわせて多くの建物が消失し、現在は祭典に必要な最低限の建物が残るのみとなりました。
アクセス
このあたりのバス路線が廃止になったという事で、アクセスの手段としては車以外では徒歩かタクシーしかありません。
交通
中央本線茅野駅徒歩約30分。
地図
他の三社の記事
諏訪大社上社前宮の境内
大鳥居
鳥居の向こうには神々しい空間が広がっています。
配置図
若獅子社
かつては大祝以下の神官は正月一日にまずこちらにお参りしたといいます。
内御玉殿
即位した大祝が民の前に姿を現す場所です。
十間廊
様々な神事を行う場所です。現在でも4月15日の御頭祭はこちらで行われています。
水眼
「水眼(すいか)」と呼ばれる清流が神域を流れており、ご神水として大切にされてきました。ちなみに飲めます。
本殿
昭和7年の伊勢神宮式年遷宮により発生した古用材で建てられていて、左側に諏訪明神が降りたとされる岩があります。
諏訪大社上社前宮の御柱
諏訪大社は六年に一度寅と申の年に開催される御柱祭で有名です。山中から切り出した16本のモミの巨木を各宮まで曳いてその四隅に立て、御神木とする勇壮な祭りですが、巨木を坂の上から落とす「木落し」の映像は誰もが見たことがあると思います。
ただ柱を建立て替えるだけではなく、祭りに合わせて本殿にあたる宝殿を建て替えるなど、伊勢神宮の式年遷宮のような性格を持ちます。
柱は右手前から時計回りに一から四の順に立てられ、一之御柱が最も太くて長く、以下順々に細く短くなります。
一之御柱
柱は切り出してから各宮まで曳いてきているので、柱の裏側はしっかりと削れています。
二之御柱
三之御柱
四之御柱
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。