鎌倉大仏として知られる高徳院では直書き御朱印が復活しました。鎌倉大仏は750年以上前の造立時の姿をほぼそのまま残しており、境内には様々な見どころがあります。
御朱印以外にもいろいろやっています
直書き御朱印が復活していた
御朱印所

高徳院の御朱印所は大仏に向かって右手にあります。2022年8月にお参りした際には書置き対応でしたが、直書き御朱印が復活していました。
受付時間8:00~16:30(記帳対応は9:00~15:00)
初穂料 500円
御朱印

鎌倉大仏特有の懐かしい書体の御朱印です。コロナ禍で書置き対応だった寺社で続々と直書き御朱印が復活しており、実にめでたく思います。
過去に頂いた御朱印

2022年8月11日付で、この時は書置きでした。

2016年6月15日付で、この時は直書きでした。
オリジナル御朱印帳

鎌倉大仏では美しいデザインのオリジナル御朱印帳を扱っています。サイズは大・小で、紙質は普通でした。
価格1500円~2000円


赤矢印は私の9冊目の御朱印帳となっています。
謎だらけの鎌倉大仏の由緒
高徳院は鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院で、国宝の鎌倉大仏を本尊として祀っています。創建年代や創立者・初代住職など全て不明であり、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく不明な点だらけとなっています。

その規模から見ても個人の力でなんとかできるようなものではなく、鎌倉幕府の全面的な支援で造営されたと考えられています。
鎌倉時代に編纂された歴史書「吾妻鑑」には「建長4年(1252)8月17日に鋳造を開始した八丈釈迦如来像」という記述があり、これが鎌倉大仏のことであるという説が現在では有力です。1264年に完成した金峰山寺蔵王堂の鐘に「新大仏鋳物師丹治久友」と記されており、これ以前に完成していたことは間違いないようです。
当初は大仏殿がありましたが、1305年・1334年の二度にわたり倒壊・再建を繰り返します。さらに1369年にも台風で倒壊し、それ以降は再建の記録がありません。1486年の時点で「大仏が露座であった」と記した日記まであることから、1498年の明応地震と津波で流されたという話はどうやら違っているようです。
1923年の関東大震災では台座が崩れて仏像が前に傾き、それ以降は度々補強工事が実施されています。
アクセス
交通
江ノ電長谷駅徒歩約7分
地図
様々な「大仏」(記事は下に続きます)
境内の見どころ
高徳院の境内一帯は「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されています。
境内案内図

はっきり言って仁王門と大仏があるだけですが、もうそれだけで十分です。
仁王門

18世紀初頭に仁王像と共に他所から移築されてきたものです。仁王像は1742年の造立です。
銅造阿弥陀如来坐像(国宝)

像高約11.39m・重量約121tであり、東大寺の銅造盧舎那仏坐(像高14.7m・重量約250t)を一回り小さくしたサイズです。近代以前に建立された大仏のほとんどが天災や戦乱で失われてしまっており、鎌倉大仏は創建当初の姿をよくとどめている貴重な存在です。(奈良の大仏はそのほとんどが後世になって補修されたもの。)

鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。

猫背で頭部が前傾しています。関東大震災の際に前に傾いたものの倒れず持ちこたえ、仏像を台座に固定する修復がなされました。1959年に実施された修理では基壇を免振化しています。
尊像胎内

像内は空洞で、一般拝観者も大仏内部を見学することができます。


今から750年以上前に驚くべき高度な技術を駆使して作られています。首のくびれに相当する場所が変色していますが、これは補強を行ったさいに塗布された繊維強化プラスチックによるものです。

関東大震災の際の補強ケ所と思われます。
大仏殿の礎石

かつてこの地にあった巨大な大仏殿は60基の礎石に支えられていたといいます。

礎石は想像していた以上の広範囲に点在しており、大仏殿がとてつもなく巨大な建築物であったことが伺えました。
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