今回は高徳院の御朱印をご紹介します。有名な鎌倉大仏は鎌倉時代の姿を現在まで残しており、国宝に指定されています。当初存在したという大仏殿は消えてしまっていますが、HPでは「鎌倉大仏殿高徳院」と名乗り御朱印には「大佛殿」と記されており、並々ならぬこだわりが感じられます。
御朱印には「大佛殿」と記されている
御朱印所
高徳院の御朱印所は大仏に向かって右手にあります。
受付時間8;00~16:30
初穂料300円
御朱印帳
御朱印所の並びにある売店では御朱印帳も扱っています。大型サイズで紙質も良好ですが、墨の量が多い御朱印の場合は裏側まで沁みとおってしまうと思われます。表裏の両面を使うのは無理のようです。
価格は1200円です。
御朱印
鎌倉大仏に大仏殿は残っていませんが、御朱印にはしっかり「大佛殿」と記されていました。
「大佛殿」への並々ならぬこだわり
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院ですが、開山、開基は不明で大仏の造像の経緯についても史料が乏しく不明な点だらけとなっています。鎌倉時代の歴史書である吾妻鏡やこの時代に鎌倉を訪れた紀行文に様々な記述がありますが、大仏が13世紀半ばに完成したものであることは間違いないようです。鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。
仏教寺院としては「大異山高徳院清浄泉寺」というのが正式名称のようですが、HPでは「鎌倉大仏殿高徳院」という名前を前面に出しており、御朱印同様に「大佛殿」に対するこだわりは並々ならぬものがあるようです。
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アクセス
交通
江ノ電長谷駅徒歩約7分
地図
高徳院の境内
仁王門
18世紀初頭に仁王と共に他所から移築されてきたものです。
国宝の大仏
像高約11.3m、重量約121tで、大きさでは奈良の大仏に及ばぬものの、ほぼ創建時の姿を保っています。
像内は空洞で、人が入ることができ、一般拝観者も大仏内部を見学することができます。
今から750年以上前に驚くべき高度な技術を駆使して作られています。
大仏の撮影ポイントとしてはコチラばベストではないかと思います。
大仏殿の礎石
かつてこの地にあった巨大な大仏殿は60基の礎石に支えられていたといいます。
観月堂
15世紀中ごろ、朝鮮王宮内に建築されていたものを移築してきました。江戸後期の作品と言われる観音菩薩立像を納めています。
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大仏殿が消えた原因は何か?
大仏は創建当初は大仏殿の中に収められていましたが、いつの頃からか「露坐の大仏」となって現在に至っています。「大仏殿は地震で発生した津波で流された」という話をよく聞きますが、鎌倉大仏は海岸から約1kmで標高13.8mという津波が到達しにくい場所にあります。
大仏殿の倒壊に関する記録としては「太平記」と「鎌倉大日記」に、1334 年および1369年の台風と1498年の大地震によって損壊に至ったという3点がありますが、室町時代の1486年書かれた旅行記によればこの頃にはすでに大仏は露坐であったといいます。
平成になって実施された境内の発掘調査では、1369年の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見出されなかったということです。
鎌倉を襲った津波を伴う地震としては1495年の明応地震がありますが、その時には既に大仏殿は無くなっていたと考えられ、大仏殿が津波で流されたというのはどうやら誤りであるようです。
大仏殿が早々に倒壊してしまって逆に良かった?
奈良東大寺の大仏殿は歴史上何度も戦乱に巻き込まれ、これまでに2回焼失しています。そのため奈良の大仏の顔は現在で4代目で、創建当時の姿とはだいぶ異なったものになっているようです。
鎌倉大仏は1369年以降の約650年露坐であったため、その間に頻繁に火災があったにもかかわらず、結果として創建寺の姿を現在まで保つことができました。仏教芸術史上きわめて重要な価値をもつ大仏が現在まで残されたのは大仏殿が早々に倒壊したからといってもよさそうです。
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