困ったときこそ酒と神様

ようやくたどり着いた、ストレスフリーで酒やうどんを楽しめる日々。これこそがご利益だったのかもしれません。

〖一山二霊場〗神恵院・観音寺の御朱印と銭形砂絵

四国霊場68番札所の神恵院(じんねいん)と69番札所の観音寺は同じ敷地内にあり、そのため1ヶ所で2種類の御朱印を頂けます。背後にある琴弾公園内の山頂展望台からは「寛永通宝」の砂絵を見ることができます。

神恵院と観音寺の御朱印

御朱印所

神恵院大師堂の向かいにある納経所

神恵院と観音寺の御朱印はともに神恵院大師堂の向かいにある納経所で頂けます。

「お接待」の品々

地元の方がお遍路さんをもてなす「お接待」の品々が置かれていました。四国八十八ヶ所巡りをしていると、こういう場面にちょいちょい出くわします。

ドライヤー

四国霊場の御朱印所のほとんどにドライヤーが置かれており、こちらにもありました。

志納金 各300円

御朱印

神恵院

神恵院の御朱印

観音寺

観音寺の御朱印

どちらも美しい書体の芸術的な御朱印です。四国霊場の御朱印には日付が入らず、また今回の旅で頂いた御朱印には全て「弘法大師御誕生千二百五十年」というスタンプが押されていました。

一山に二つの霊場という形態

四国八十八ヶ所巡りで札所間の距離が最も長いのが第37番岩本寺と第38番金剛福寺の間で約100㎞(徒歩約28時間)。逆に最も短いのが第68番神恵院と第69番観音寺の間で、同じ敷地内にあるので距離はゼロとされています。

神恵院と観音寺の誕生のきっかけとなったのは703年で、琴弾山山頂で修行をしていた日證上人のもとに宇佐神宮より八幡大菩薩が降臨し、海の彼方には神船が琴の音と共に現れたといいます。そこで上人は船と琴を引き上げて山頂に琴弾八幡宮、神宮寺として宝光院を創建しました。

平安時代になって唐から帰国した弘法大師が807年にこの地を訪れます。そして宝光院を観音寺と改め、自ら刻んだという聖観世音菩薩像を本尊として安置しました。

後に四国八十八ヶ所霊場が形成されると琴弾八幡宮が第六十八番札所、観音寺が第六十九番札所という一山に二霊場という形態となり、納経は2ヶ所とも観音寺で受け付けました。

明治になって神仏分離令が出されると琴弾八幡宮は四国霊場から切り離され、別当時だった神恵院が第六十八番札所となります。

アクセス

交通

予讃線観音寺駅より車で約5分(1.94㎞)

地図

神恵院と観音寺の境内

案内図

境内の案内図

仁王門

仁王門

日本遺産の石碑が門の両脇に2つ設置されており、これは日本唯一です。

神恵院大師堂

神恵院大師堂

もともとあった大師堂が台風で失われたため、十王堂の右半分を大師堂として使用しています。

神恵院本堂

コンクリート打ちっぱなしの建造物

コンクリート打ちっぱなしの建造物の中の石段を登ると本堂があります。

神恵院の本堂

2002年に新築された鉄筋コンクリート造の建物です。

鐘楼

鐘楼

観音寺大師堂

観音寺の大師堂

観音寺本堂

観音寺の本堂

室町時代の建築物とされ、16世紀ごろに大修復されたと伝えられています。

薬師堂

観音寺の薬師堂

元の神恵院本堂です。

銭形砂絵

有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」の砂絵

神恵院と観音寺の背後にある琴弾公園内の山頂展望台からは有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」の砂絵を見ることができます。

砂絵の拡大写真

東西122m、南北90m、周囲345mもあり、1633年に藩主である生駒高俊を歓迎するために一夜にして作られました。この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられています。

これをきっかけとして讃岐うどんの食べ歩きに行こう

香川県の魅力は数多くありますが、その最大のものはやはりうどんではないかと思います。「うどん県」を自称しているだけあって無数にある県内のうどん店はどこもハイレベルで、「感動的な美味さ」のうどんにちょいちょい出会うことができます。

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