鎌倉の本覚寺では年代によって御朱印の内容が変わるようです。佐渡への流刑から戻ってきた日蓮が一時滞在した日蓮ゆかりの地で、身延山から日蓮の骨が分骨されています。現在では「東身延」とも呼ばれており、境内には様々な見どころがあります。
年代によって御朱印の中身が変わる
御朱印所
御朱印は山門脇の受付で頂けます。
年代によって御朱印の内容が変わるようで、「夷神」だった時期もあれば「日朝大上人」だった時期もあったようです。また鎌倉十三佛「文殊菩薩」の御朱印も頂けます。
志納金300円
御朱印
大変力強く格調の高い御朱印をいただきました。
本覚寺の由緒
現在本覚寺がある場所は幕府の裏鬼門にあたるため、源頼朝が鎮守として天台宗系の夷堂を建てていました。その夷堂は1274年に佐渡への流刑から戻った際に日蓮が拠点とした日蓮宗ゆかりの場所であり、1436年に初代住職の日出が天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したといいます。
二代目住職の日朝により身延山から日蓮の骨が分骨され、そのため本覚寺は「東身延」と呼ばれています。
アクセス
交通
横須賀線鎌倉駅徒歩約5分
地図
境内の見どころ
山門
閑静な住宅地の中にいきなり出現します。江戸時代に建てられた境内で最も古い建物で、明治初期に三浦半島の寺院より移してきました。当時は若宮大路に向けた入り口をつくってはいけないと決められており、そのため本覚寺は「辻説法通り」と呼ばれる小町大路に面しています。
敷地内は梅が綺麗に咲いていました。
夷堂
かつて日蓮が滞在していた天台宗の夷堂は明治の神仏分離令によって寺とは分離され、現在では蛭子神社として鎌倉警察署奥の突き当りに位置しています。現在の夷堂は昭和56年に再建されたもので、祀られている夷神は暗い中で目が光って見えます。
本堂
大正時代に建てられました。
日蓮御分骨堂
身延山より移した日蓮の分骨を祀っています。身延山への参詣が困難な老人や女性のために二代目住職の日朝が日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めました。
しあわせ地蔵
願い事を唱えながらその頭を撫でると叶うとされています。
日蓮上人辻説法跡地
1253年に鴨川の清澄寺で悟りを開いた日蓮が鎌倉へ出てきた際に布教を始めた場所で、宝戒寺から本覚寺に向かう途中にあります。鎌倉時代のこの辺りは武士の屋敷と商家が混在していて、日蓮は毎日このあたりに立って法華経の功徳を説いていたとされています。
当時は津波を伴う大地震や二度の元寇など社会全体が不安に包まれていたような時代で、日蓮は来世ではなく今を生きることの大切さを説き、法華経のみが釈迦の真の教えであり、来世での救いしか求めない民衆の誤った信仰や、加持祈祷のみに頼る幕府の誤った政策が世の中を混乱させていると大胆に批判しました。
こうして世間を敵に回した日蓮は他の宗派の信者から二度にわたり襲撃され、幕府に捕らえられて佐渡に流されることになります。
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