穴八幡宮の御朱印には堂々たる書体で「一陽来復」と書かれています。毎年冬至から翌年の節分まで領布される財運・金運アップのお守りである一陽来復御守で有名な神社で、毎年冬至になるとお守りを求める多くの人で馬場下通りは埋め尽くされます。※2017年8月13日作成。2022年8月9日改定。
穴八幡宮の御朱印
御朱印所
ご朱印は拝殿内の社務所で頂けます。
初穂料300円
御朱印
穴八幡宮はご朱印も「一陽来復」です。浮き上がってくるような堂々たる書体のご朱印を頂きました。尚、一陽来復守領布期間中はご朱印は取り扱わないそうなのでご注意下さい。
穴八幡宮の由緒
穴八幡宮は奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折りにこの地に兜と太刀を納め、氏神である八幡宮を祀ったことが起源とされています。1641年に八幡神を祠る別当寺を建てるために境内南側の崖を整地したとき横穴が現れ、そこに金銅の阿弥陀像が発見されたことから穴八幡宮と呼ばれるようになりました。以来、商売繁盛や金運UP、出世、開運、蟲封じなどにご利益があるとされ、また徳川幕府の歴代将軍が度々お参りした神社でもあります。
流鏑馬は八代将軍吉宗が世継ぎの疱瘡平癒を祈願して奉納してから折に触れて行われるようになり、現在では近隣の都立戸山公園内にて毎年10月10日に開催されています。
さらに明治12年には皇太子(後の大正天皇)の蟲封じのための祈祷も行われています。
「一陽来復御守」の魅力
「一陽来復(いちようらいふく)」とは、冬至の別名で、太陽の力が最も弱った後に日々回復していくことから転じて、これから幸運が訪れるというポジティブな意味合いがある言葉です。
穴八幡宮に伝来する一陽来復御守はこのエネルギーをお金にあてはめたもので、財運・金運アップのお守りとして、江戸から今に伝わる特別なものなのです。
御守りは毎年冬至から翌年の節分まで領布され、冬至・大晦日・節分のいずれかを選び、24時ちょうどに文字を翌年の恵方に向け、恵方と反対側のなるべく高い位置に貼ると資金繰りが良くなるとされて大変な人気です。領布初日の冬至の日は条件次第では数時間待ちの行列を覚悟しなければならないようです。
2022年の冬至は12月22日(木)です。皆様も穴八幡宮をお参りしてみてはいかがでしょうか。
アクセス
交通
東西線早稲田駅徒歩3分
地図
穴八幡宮の境内
東京大空襲により社殿は焼失しましたが、江戸時代の設計図を基に再建工事が現在も進行しています。
一の鳥居
遠方からでもはっきりと確認できる朱色の巨大な鳥居ですが、よく見ると根本を亀が支えています。
「高田馬場の流鏑馬」像
二の鳥居
随神門
平成10年に再建されました。
鼓楼
再建されたばかりです。
布袋像の水鉢
徳川家光により奉納されたものです。大勢の人に撫でられてツルツルになっていました。
社殿
神武天皇遥拝所
ここから遥か南西の奈良県・橿原神宮の方向へ遥拝できます。
金運のご利益で有名な寺社
冬至に一陽来復御守の行列に並んでみた
まだコロナ前だった2017年の冬至の日に穴八幡宮をお参りしてみました。一陽来復御守を求める人々の数は私の想像していた以上で、行列のために馬場下町の交差点から馬場下通りを通行止めにするまでになっているではないですか。
行列の半分は表参道、残り半分は北参道に誘導されます。この日は北参道の方が早いようです。
DJポリスまで出動していました。
北参道へ向かう歩道は全てお守りを求める行列で埋まっています。
結局この日は1時間20分待ちでした。
こちらが一陽来復御守の本体です。決して包み紙ではないので破ってしまわないように十分に注意してください。
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