今回は諏訪大社四社の御朱印と記念品をご紹介します。諏訪湖を挟んで上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)という二社四宮の境内が鎮座しており、四社の御朱印を揃えると記念品を頂けます。伊勢神宮と違って上社と下社に序列はありません。
- 四社の御朱印を揃えて頂ける記念品
- 諏訪大社の由緒
- 諏訪大社の特色
- 御柱祭り
- 上社前宮の境内
- 上社本宮の境内
- 下社春宮の境内
- 下社秋宮の境内
- 青春18きっぷを利用するのにちょうどいい
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四社の御朱印を揃えて頂ける記念品
御朱印所
御朱印は各社の社務所で受け付けています。どの角度から見てもかっこいい、誠に堂々たる御朱印ですが、さらさらと短時間で書いてくださるのでそれほど待ち時間はかかりません。
受付時間:祈祷受付は9:00~16:00ですが、17時くらいまでは受付けているようです。
初穂料:500円
御朱印
上社前宮
上社本宮
下社春宮
下社秋宮
四社巡りの記念品
四社の御朱印を揃えると記念品がもらえるという事でしたが、平成29年にお参りした際は御神供と御柱箸をいただきました。
御神供は美味しく頂きましたが、御柱箸はまだ使えずにおります。御柱を削って作った有難い箸ですから、とても日常の食事のような場面では使う気になれません。
令和元年に再びお参りした際はきんちゃく袋となっていました。
諏訪大社の由緒
諏訪大社の御祭神は建御名方神と八坂刀売神の2柱ですが、HPでは単に諏訪明神と記述されています。
建御名方神は大国主命の子で、国を譲るよう迫ってきた武甕槌大神(鹿島神宮の御祭神)に力比べを挑んで投げ飛ばされ、出雲から逃げ出したという神話があります。武甕槌大神に追われて諏訪まで来た建御名方神はこの地から出ないことを約束したことで殺されることを逃れたとされており、鹿島神宮の社殿が西向きなのは鹿島の真西に位置する諏訪を見張るためだという説もあります。
建御名方神は男神で八坂刀売神は女神です。諏訪湖が結氷した際に湖面に発生する亀裂は御神渡りといわれますが、これは上社の建御名方神が下社の八坂刀売神のもとに偲んでいった跡だとされています。
実際の創建の年代は不明ですが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在することは間違いないようであり、資料に最初に登場するのは691年です
諏訪大社の特色
本殿がない
諏訪大社では上社は「守屋山」、下社秋宮は「イチイの木」、下社春宮は「スギの木」をご神体としており、祀るための本殿がありません。日本では古くから神は山や大木、巨大な岩に宿ると考えられ、古代の神社に本殿はなかったといわれています。諏訪大社は神社本来の姿を今日まで残しているといえます。
もともと上社の摂社であった前宮だけは本殿があります。
上社はアクセスが大変
公共交通機関だけを利用して諏訪大社四社巡りをする場合、最も問題になるのが上社のアクセスの悪さです。
上社前宮は茅野駅から約2.2kmという場所に位置しており、徒歩で30分くらいかかります。
上社本宮は茅野駅から約3.2km、前宮からは約1.5kmの場所に位置しています。(茅野駅までは私の足で45分でした)
本宮に関しては上諏訪駅からバス路線があるようですが、本数も少なく時間もかかるようであり注意してください。
御柱祭り
諏訪大社は六年に一度寅と申の年に開催される御柱祭で有名です。山中から切り出した16本のモミの巨木を各宮まで曳いてその四隅に立てる勇壮な祭りですが、巨木を坂の上から落とす「木落し」の映像は誰もが見たことがあると思います。
式年遷宮の性格も持つ
ただ柱を立てるだけでなく社殿の建替えも行われるため、御柱祭りは伊勢神宮の式年遷宮のような性格を持ちます。
境内には宝殿が東西2棟あってどちらかに神輿が収められていますが、御柱祭の際にもう一方に遷座して古い宝殿は建替えられます。
御柱の立て方
柱は右手前から時計回りに一から四の順に立てられますが、一之御柱が最も太くて長く、以下順々に細く短くなります。
山で切り出されてから長い距離を引きずられるため、裏側はかなり激しく削られています。
境内を一回りすれば柱の場所はすぐにわかりますが、上社本宮の三之御柱、四之御柱の2本だけは分かりにくい場所にあります。(特に三は見方がわからないと気付かない)
目印として「三之御柱遥拝所」の看板が立てられています。
そこから見るとこのように見えます。どれが御柱かわかりますか?
中央付近を拡大しました。黒い木の間に見える白い木が三之御柱です。
勅願殿の脇に四之御柱遥拝所があり、その奥に四之御柱があります。
拡大してみました。
諏訪大社四社の記事
上社前宮の境内
諏訪大社では神職の最高位を「大祝(おおほうり)」と呼び、かつては御神体と同一視された現人神のような存在でした。前宮の敷地内には大祝の居館である「神殿(ごうどの)」とそれに付属する建物が立ち並び、上社の重要な神事のほとんどがこの地で行なわれたため、前宮は諏訪祭祀発祥の地とされています。
室町時代に神殿が移転するとそれにあわせて多くの建物が消失し、現在は祭典に必要な最低限の建物が残るのみとなっています。
前宮は江戸時代までは「前宮社」として上社の摂社でしたが、明治になって上社の前宮に定められました。そのため拝殿後背の守屋山を御神体とする本宮、敷地内の御神木を御神体とする下社に対し、前宮だけは本殿があります。
本殿は昭和7年の伊勢神宮式年遷宮により発生した古用材で建てられています。
上社本宮の境内
諏訪大社四社の中で最も規模が大きいのが上社本宮です。
境内は上段と下段の2段に分かれており、その境界部分に約67m続く布橋があります。
御柱祭りの際、神輿の遷座はこの中で行われ、その時は床に布が敷かれます。
布橋に面した東宝殿は一般の神社の本殿にあたり、現在はこちらに神輿が収められています。
前々回の寅年の御柱祭に際して建替えられ、6年経過した平成28年の御柱祭で神輿が遷座されてきました。そして空いた西宝殿が今度は建替えられ、6年後に神輿を迎えるというのが諏訪大社上社本宮のサイクルです。
拝所から斎庭ごしに拝殿を拝みます。
拝殿の奥にある森が神の住まいとされ、山が御神体とされています。
下社春宮の境内
宝殿を東西2つ持ち、御柱祭に際してその内の一つを建て替えるは下社も上社と同じですが、下社ではこれ以外にも遷座があります。下社は建御名方神と、八坂刀売神の両神を祀っていますが、八坂刀売神は春宮に2月~7月、秋宮に8月~1月の間鎮座します。
下馬橋は1578年に造営された諏訪大社全体で最も古い建築物で、かつてはたとえ殿様といえどもこの場所で籠や馬から降りて歩かなければならなかったのでこの名前が付いています。2月1日と8月1日の遷座の際は白丁に担がれた御霊代が下馬橋を渡ります。
春宮と秋宮の社殿は同じ構造ですが、両社の建築は彫刻において技が競われております。
春宮の社殿の彫刻は古くから諏訪地域の寺社建築を請け負い、それによって技術を磨き信用を積み上げてきた地元の古豪である大隅流が手掛け、藩が提示した金額の半額で、さらに秋宮より1年早く完成させてみせました。
岡本太郎が絶賛したことで有名になった「万治の石仏」は春宮から徒歩5分くらいの場所にあります。
下社秋宮の境内
下諏訪では至る所で温泉が湧いていますが、神社の手水にも温泉を用いています。かなり熱いですから注意しなければなりません。
狛犬は高さ1.7mで、青銅製では日本一の大きさです。
春宮の彫刻を手掛けた大隅流が地元の古豪であるのに対し、秋宮を手掛けた立川流は新興勢力です。修業先から地元に帰ってきて手掛けた第一作目が高い評価を得た結果、下社秋宮の再建というとんでもない仕事を任されました。
春宮と同じ基本設計でありながら、中央の幣拝殿よりも左右の片拝殿の両端を僅かに前に出すことにより、春宮よりも手前に迫ってくるような迫力を感じさせるような工夫をしています。
秋宮が中山道と甲州街道の分岐点という交通の要所に建っていたことから立川流の彫刻の評判は口コミで広がり、その後彼らは全国各地で仕事をするようになりました。
青春18きっぷを利用するのにちょうどいい
諏訪大社は全国に約25,000社あるといわれる諏訪神社の総本社であり、他にはない重みを感じることができる神社です。有名な御柱を削って作った箸はレアものの極みで是非入手したいものです。若干体力が必要ですが青春18きっぷを利用するのにちょうどいい立地であり、一度四社巡りをしてみてはいかがでしょうか。
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