酒とうどんと御朱印の日々

過去にお参りした寺社を再度訪れるとまた新たな発見があって新鮮な気持ちになれます。

〖川越〗仙波東照宮の御朱印と日曜祝日以外は入れない境内

仙波東照宮は正面の門が開いているのは日曜祝日の日中だけであり、それ以外の日は入ることができません。参道脇の団子屋が御朱印所として知られていますが、御朱印帳に直書きしていただける場所が他にあります。狛犬は徳川家光の命により江戸城から移してきたもので、埼玉で最古の狛犬とされています。

お団子屋以外でも頂ける仙波東照宮の御朱印

御朱印所

仙波東照宮の御朱印所としては参道脇のお団子屋が知られています。

お団子屋

「御朱印扱っています」の貼り紙見たところこちらでは書置き御朱印のみ扱っているようです。

仙波東照宮の御朱印は川越八幡宮の御朱印所でも扱っており、こちらでは御朱印帳に直書きして頂けます。

初穂料500円

御朱印

川越八幡宮の御朱印所で頂いた仙波東照宮の大変に優雅な書体の御朱印

私は川越八幡宮の御朱印所で頂きました。大変に優雅な書体の御朱印です。

大人二人で過ごすお正月に二人前本格おせち

天海が刻んだ家康像を祀る仙波東照宮

仙波東照宮は徳川家康を祀った神社で、家康の側近として知られる喜多院の第27世住職だった天海が創建したものです。

1616年に家康が75歳で亡くなると一旦は静岡県の久能山に葬られましたが、遺言に従って翌年日光に移葬されます。3月15日に久能山を出発した一行は23日に喜多院に到着し、天海によって26日までの4日間丁重な法要が実施されました。

法要を終えた天海は高さ八寸八分(約27cm)の家康の像を刻み、大堂に祀ったのが仙波東照宮の起源です。

天海僧正は、この東照宮を広く多くの方に崇拝してもらうため、喜多院の境内にあった中院を移転し、跡地に高さ五間の丘陵を築きあげて立派な社殿を造り、1633年に遷祀しました。

この時の建物は1638年の川越大火により全焼しますが、徳川家光の命により直ちに再建工事が実施され、1640年に現在まで残る建物が竣工します。

明治になってからの神仏分離令により喜多院の管理から離れ、現在では川越八幡宮により管理されています。

大人二人で過ごすお正月に二人前本格おせち

日曜祝日以外は入れない仙波東照宮の境内

家光の命により川越城主堀田加賀守正盛を造営奉行として再建された仙波東照宮の社殿は漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかで、境内の多くの建物が重要文化財に指定されています。

隋身門(重要文化財)

隋身門

石鳥居(重要文化財)

石鳥居川越城主堀田加賀守正盛が奉納したものです。

階段上の門

階段上の門大きな葵の紋が掲げられています。開いているのは日曜祝日の9~16時で、それ以外の時間帯は隙間からのぞき込むことしかできません。

拝殿(重要文化財)

拝殿手前の狛犬は徳川家光の命により江戸城から移してきたもので、埼玉で最古の狛犬とされています。

唐門・端垣(重要文化財)

唐門・端垣

本殿(重要文化財)

本殿

三大東照宮の有力候補

三大大仏、三大天満宮、三大八幡宮と同様に三大東照宮というものがありますが、三番目が怪しいのは東照宮も同様です。久能山、日光に自分の近隣の東照宮を勝手に加えて三大東照宮と称している場合が多いようですが、それでも有力候補というのはあるようで、群馬の世良田東照宮、愛知の滝山東照宮、鳳来山東照宮と並んで仙波東照宮は三大東照宮の有力候補の一つとされています。

これとは別に久能山、日光、上野、芝を称して「四大東照宮」と呼ぶ事例もあるようです。

大人二人で過ごすお正月に二人前本格おせち

★スマホで御覧の方はPCでも見ていていただきますと写真がよくわかります

左下のボタンでB!ブックマークをお願いします。

◆御朱印所の川越八幡宮

www.goshuinbukuro.com

◆東照宮といえばまずここ

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com

www.goshuinbukuro.com