川越の三芳野神社は創建は平安時代といわれる歴史のある神社で、江戸時代に造営された社殿が現在まで残されています。童謡「通りゃんせ」の発祥の地であるとされており、御朱印にもその旨明記されています。
三芳野神社の御朱印
御朱印所
御朱印所は拝殿手前の授与所でいただけます。
初穂料500円
不在の場合は川越氷川神社の御朱印所でもいただくことができます。(徒歩約7分くらい)
御朱印
こちらにも「通りゃんせ発祥の地」と書かれていました。
白無垢、色打掛、引振袖など約200着の豊富な衣装から選べる!【和婚スタイル】
三芳野神社の由緒
三芳野神社の創建は9世紀初頭といわれ、主祭神の素盞嗚尊と奇稲田姫が大宮の氷川神社から、配祀の菅原道真が北野天満宮から勧請されたのではないかといわれています。。
1457年に太田道灌が川越城を築城すると三芳野神社は場内に取り込まれ、場内の鎮守として歴代城主から篤い崇敬を受けました。
現在の拝殿は1624年に造営されたもので、1656年に大改築が行われ江戸城二の丸の東照宮本殿を移築して本殿とし、拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造りの形態としています。
アクセス
交通
西武新宿線本川越駅徒歩約23分
地図
童謡「通りゃんせ」発祥の地
三芳野神社は童謡「通りゃんせ」発祥の地とされています。
1457年に川越城が築城されて三芳野神社は場内の鎮守となりますが、そうなると一般の民衆はお参りできなくなります。彼らが城内に入り参拝できたのは年一度の大祭の時か、七五三の祝いの時だけですが、そのためには警護の武士が詰めている天神門を通らなければなりません。
城は軍事基地ですから参拝者に紛れて密使に侵入され、機密漏洩などがあれば大変なことになります。そのため入場にあたっては「ご用のないもの通しゃせぬ」ということになり、きょろきょろと挙動不審なものはどやしつけられたそうです。
それでも入場の際は怪しい者を外見からチェックするだけですが、退場の際は機密書類等を持っていないか所持品のチェックを受けなければなりません。入場より退場の方がチェックが厳しいかったことは間違いなく、そこで「いきはよいよい帰りはこわい」ということになるのです。
少人数、家族中心の神社挙式は、こんな時代だからこそ、選ばれる価値のある日本伝統の挙式スタイルです【和婚スタイル】
三芳野神社の境内
現在三芳野神社の社殿は1624年に造営されたもので、1656年に大改築が行われて江戸城二の丸の東照宮を本殿として移築してきました。長年風雨にさらされてきたために建物の痛みが激しく、現在社殿の修復工事を実施中です。
大鳥居
社殿
平成31年春には工事が完了し、朱漆塗という本来の姿を取り戻した社殿が姿を現す予定です。
境内社
三芳野神社拝殿の目の前にして向かい合って大黒社と蛭子社が建てられています。蛭子社に揚げられて額の背面に「享保19年(1734年)」と書かれており、250年以上前の江戸時代中期の建物と考えられます。社殿に向かって左が大黒社、右が蛭子社になります。
神社結婚式、和装結婚式は日本伝統の文化!資料請求はコチラ☟
★スマホで御覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。
「参考になった」と思われる方ははてブの所をポチっとして頂けますと幸いです
◆コンパクトな街に点在した川越の神社