池上本門寺は日蓮入滅の霊場にある日蓮宗の大本山ですが、プロレスラーが数多く参加する節分の豆まきでも有名です。日蓮宗以外の御朱印が書かれた御朱印帳には「南無妙法蓮華経」ではなく「妙法」と書く、日蓮宗特有の御朱印でした。
日蓮宗特有の御朱印
御朱印所
御朱印は大堂前の総合案内所で頂けます。
志納金300円
御朱印
日蓮宗以外の御朱印も書かれた御朱印帳であったため「南無妙法蓮華経」ではなく「妙法」と書かれた御朱印を頂きました。日蓮宗特有の御朱印です。
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池上本門寺の由緒
1282年に病身の日蓮は湯治のため身延山から常陸を目指す途中、武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に立ち寄ります。その際に建立されたお堂を長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といいます。
日蓮がそのままこの地で亡くなると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
江戸時代になると徳川家や加藤清正の支援を受けて大伽藍を形成します。幕末には、江戸城攻撃のために東征した官軍の本陣となり、江戸城の無血開城のため西郷隆盛と勝海舟による非公式会見が行われたともいわれています。(芝の薩摩藩邸での公式会見とは別)
先の大戦における空襲により56棟のお堂が焼失するという大被害を受けましたが、五重塔、総門、経蔵、宝塔は被災を免れ、それ以外の建物も順次再建されて現在に至っています。
アクセス
交通
東急池上線池上駅徒歩約11分
地図
池上本門寺の境内
案内図
総門
総欅素木造で、元禄年間に建設された境内で最も古い建物の一つです。
此経難持坂
加藤清正が寄進したといわれる石段で、妙法蓮華経(法華経)宝塔品の偈文の96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としています。
仁王門
昭和20年に空襲で焼失し、昭和52年に再建されました。
日蓮像
昭和58年の日蓮の700回忌に建立されたアルミ製の像で、仁王門手前の石段の脇に立っています。
長栄堂
仁王門の右手にあり、長栄山の守護神「長栄大威徳天」を祀っています。
日朝堂
仁王門の左手にあり、日朝聖人像を祀っています。
五重塔(重要文化財)
関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔で、のちに徳川2代将軍となる秀忠が15歳の時の病気平癒祈願の御礼で建てられました。
経蔵
1784年に建立されたもので、内部には回転する八角形の書架があり、天海版一切経が収められていました。
大堂
日蓮を祀る建物です。加藤清正が1606年に建立した旧大堂は堂々たる大建築で人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだといいます。
その後焼失と再建を繰り返し、現在の建物は昭和39年に再建されたものです。
多宝塔(重要文化財)
境内西方の日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建つ供養塔で、日蓮が所持していた水晶念珠を祀っています。木像の宝塔は現存例が少なく、池上本門寺の多宝塔はその中でも最大規模であり貴重な建築物です。
本殿
戦災で焼失した釈迦堂を昭和44年に再建したもので、本尊の釈迦如来像の胎内には、インドのネルー首相が寄贈した釈迦の舎利骨が納められています。
本殿内にはアントニオ猪木をモデル(首から下、特に筋肉)に制作した仁王像が安置されています。
この像はもともとは仁王門内に安置されていたもので、まだ20代だった猪木は「師匠の墓の番人ができるのなら喜んで」ということでモデルになることを快諾したそうです。
御廟所
中央が日蓮の墓塔であり、向かって左の廟堂には第2世日朗の墓塔が、右には第3世日輪の墓塔が安置されています。
力道山が眠る墓地
池上本門寺には数多くの政治家や文化人といった歴史的人物の墓がありますが、その中でも最も有名であるのが力道山でしょう。戦後の日本に空前のプロレスブームを巻き起こしましたが、やくざに刺された傷が原因で39歳の若さで亡くなりました。
五重塔の下に案内板が立てられています。
墓地の一番奥まった場所にありました。
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池上本門寺の節分豆まき
池上本門寺の節分豆まきでは、厄災消除、開運招福の願いを込めて、福豆を10~20粒ほど入れた小さな豆袋が撒かれます。浅草寺や成田山新勝寺といった有名寺院の豆まきは芸能人や各界著名人が参加して盛大に開催されますが、池上本願寺は特にプロレス関係者や格闘家などのゲストが多いことで知られています。
これを目当てに、池上本門寺の豆まきには毎年13,000人を超える人が訪れます。
13時頃の福男・福女のお練り行列の後、本殿にて法要が行われ、15時から豆まきが盛大に実施されます。
ゲストによる豆まきは特設の桟橋で行われますが、来場者の安全を考えて周囲は綱で仕切られ、「高齢者」「幼児同伴」「低学年」「一般」という具合にエリア分けされていました。
定刻が近づくと豆まきをするゲストの立ち位置が、名札になって貼り出されますが、「天龍源一郎」の札が下げられたエリアでは歓声が上がっていました。それにしても区議会議員ごときをこういう場に出すのは興ざめするのでやめてもらいたいものです。
私は14時頃からその場にいましたが、気が付くと周囲は大変なことになっていました。今年は節分が土曜日であるため例年より人出が多かったようです。
武藤敬司と小橋建太です。
天龍源一郎と丸藤正道です。
若村麻由美はひたすら綺麗でした。
15時の合図とともに豆まきが始まります。
豆の総重量は1トンになるといわれていますが、大勢でバラバラとまくため、何と10数分で終わってしまいました。例年こんなものらしいです。
比較的いい場所に陣取っていたので、予想以上の戦果を挙げることが出来ました。
お骨は骨壷や骨袋に納め、耐久性に優れた厨子にて保管。フロントにて参拝受付を頂きますとお選びいただいた参拝室まで厨子が自動で運ばれます。
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◆個性的な日蓮宗の寺院
◆「ぼたもち寺」として知られる常栄寺