今回は座間の鈴鹿明神社の御朱印をご紹介します。神楽殿や授与所は高速道路の最新のSAを思わせる近代建築で、堂々たる木造建築の社殿も実は平成4年築という、新しいものと古いものが見事に融合した神社です。座間に存在しない地名である「鈴鹿」を社名としているのはなぜでしょうか?
鈴鹿神明社の御朱印
御朱印所
御朱印は授与所ではなく、参道右手の社務所でいただけます。
初穂料300円
御朱印
どっしりと風格の漂う御朱印を頂きました。
「鈴鹿」を社名にする理由
鈴鹿といえば大抵の方は鈴鹿サーキットのある三重県の鈴鹿市をイメージすると思います。神奈川に鈴鹿という地名は存在しないにもかかわらず、なぜこのような社名の神社が存在するのでしょうか。
「伊勢国鈴鹿郷の神輿が海上を流されてきた」説
鈴鹿明神社の創建は6世紀の中頃とされています。
伊勢国鈴鹿郷の神社例祭で神輿が海上を渡御した際に、にわかに巻き起こった暴風によって海上を漂流し、当時相模国入り海の東岸であったこの地に漂着したという伝説が残されています。この際に里人が社を創建して座間郷の鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め祀ったというものです。
鹿嶋神宮内の社殿が流れ着いた田町の御穂鹿嶋神社や15年かけて流れ着いた十一面観音を祀って開山した鎌倉の長谷寺の事例がありますが、こういった事例はなかなかロマンティックなものです。
「この地が鈴鹿王の所領だったから」説
この地が鈴鹿王の所領で土甘郷といったことから、王の名を神社に冠したという説もあるようです。
鈴鹿王は奈良時代の皇族で太政官の長官である知太政官事を務めた人物で、745年に亡くなりました。恐らく相模国を訪れたことは無いと思われ、また神社創建の約100年後の人物であることから、こちらの説は少し弱いように思います。
伊勢の神社
アクセス
交通
小田急線座間駅座間駅徒歩約8分
地図
新しそうで実は古い鈴鹿明神社の境内
鎮守の森に囲まれた広々とした敷地内に新旧様々な建物が混在しており、実に不思議な雰囲気でした。
大鳥居
鳥居は明治27年に再建されたものです。
狛犬
大正八年三月と刻まれていました。
参道
初詣期間中という事で多くの屋台が出て大変に賑わっています。
神輿庫
鐘楼
昭和48年に再建されました。神社に鐘楼ということで少し不思議な光景ではありますが、初詣客が代わるがわる撞いていました。除夜の鐘が近隣からの苦情で中止になったりするような時代に、こんなことが許されるのは何とも素敵です。
神楽殿
何やら近代的な舞台にも見えますが、これが神楽殿なのだそうです。
授与所
こちらも高速道路の最新のサービスエリアを思わせる造りです。
拝殿
風格の漂う堂々たる木造建築でありながら基礎部分は近代的な鉄筋コンクリートで、一体いつの時代の建物なのか混乱しました。後から調べたところでは平成4年に造営されたという事で、思っても見ない新しさに大変に驚いております。
境内社
比較的最近になって整備されたものが多い境内において、古くからのものもしっかりと残されていました。
稲荷社(鳥居くぐって左手)
稲荷社(参道途中)
厳島神社
道祖神・祠(鳥居くぐって右手)
このブログのイチオシ記事
「評価に値する」と思われたらワンクリックお願いします。読者登録とブックマークを頂けるともっと嬉しいです。