今回は大阪の今宮戎神社の御朱印をご紹介します。「商売繁盛で笹持ってこい」というお囃子が鳴り響く十日戎で有名な神社で、えびす様を祀る神社らしく何かと鯛が目につきます。御朱印にも鯛が描かれていました。
今宮戎神社の御朱印
御朱印所
御朱印は授与所で頂けます。
神社の規模と比べて授与所のでかさに驚かされましたが、これも十日戎で殺到する参詣客をさばくためかもしれません。
初穂料300円
御朱印
どっしりと構えた御朱印をいただきました。七福神の恵比寿様は右手に釣り竿、左手に鯛を抱えた姿で有名ですが、御朱印にも鯛が描かれていました。
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福笹で有名な十日戎
「商売繁盛で笹持ってこい」というお囃子が鳴り響く十日戎は毎年1月9日から11日の期間開催されています。
十日戎では、拝殿で福笹を頂き、そこに御札と吉兆(きっちょう)と呼ばれる小宝を付けます。吉兆とは銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛といった縁起物で、自由に選んで福娘に飾り付けしてもらいます。
笹は「節目正しく真っ直ぐに伸び」「弾力があって折れない」「葉が落ちず常に青々と茂る」といった特徴から、家運隆昌・商売繁盛の縁起物となりました。期間中に活躍する福娘は毎年3000名以上の応募者の中から何次にも亘る選考の結果選ばれるため、相当な倍率を突破しなければならず、アナウンサーの輩出率が高いと言われています。
境内にはクレーンが搬入されて様々な準備が行われていましたが、これらも全て十日戎のためのものなのでしょう。
今宮戎神社の由緒
今宮戎神社は600年頃、聖徳太子が四天王寺を創建するにあたって西方の守護神として建てられたのが起源とされています。
海辺で物資が集まりやすい場所である事から物々交換の場となっていましたが、平安時代後期に「浜の市」が開かれると、神社は市の守り神とされるようになります。室町時代以降、大阪が商業の都として発展すると庶民の信仰は一層厚くなり、豊臣秀頼は片桐且元を普請奉行として社殿を造営しました。
江戸時代になると十日戎の祭事が始まり、元禄にはほぼ現在と同じ形式で行われるようになります。
ちなみに道頓堀川にかかるグリコの看板で有名な戎橋は今宮戎神社にお参りする参道であったことから名付けられました。
昭和20年の空襲で社殿は全焼し、現在の建物は昭和31年以降再建されたものです。
アクセス
交通
南海高野線今宮戎駅徒歩約1分
御堂筋線大国町駅徒歩約5分
堺筋線恵美須町駅徒歩約5分
地図
今宮戎神社の境内
大鳥居
拝殿
正面上部に掲げられていた鯛の絵が印象的でした。十日戎の初日である1月9日には近くの大阪木津卸売市場から鯛を奉納する「献鯛式」が毎年行われています。
この日はガラガラでしたが、十日戎当日は大変な混雑になるようです。拝殿正面に設置されている屋根も十日戎のために設置されたと思われます。
本殿
本殿裏側にも参拝所があります。えべっさんは耳が遠いらしく、拝殿でお参りした後に裏側にある本殿の壁板を叩き、「よろしうたのんまっせ!」と叫ぶのが正式な作法なのだそうです。(十日戎の時には鉦がつるされているらしい)
境内社
大黒社
稲荷社
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