先日は水天宮の御朱印をご紹介しましたが、本日はその近隣に位置する甘酒横丁をご紹介します。
甘酒横丁は人形町通りから明治座に向かって東西に延びる道で、約400mの間に60件以上の店が並んでいます。
この辺りは江戸時代に吉原遊郭(元吉原)が置かれていた場所になります。
徳川家康が江戸幕府を開くと都市機能の整備のために関東一円から人足が集められ、そのため江戸の人口比率は圧倒的に男が多かったといいます。そのような時代背景のもとに遊郭の設置が陳情され続けた結果、当時はまだ江戸の外れであったこの地に設置することが許可されました。当時このあたりは海沿いの湿地帯で、葦が繁っているような場所であったことから「吉原」と呼ばれたといいます。
1656年の明暦の大火の後遊郭は浅草寺裏日本堤(新吉原)に移転しますが、同じ時期に日本橋に魚河岸が開設された関係で、周辺は関係者とその家族が暮らす人口密集地となりました。そのため地域住民に娯楽を提供する目的で芝居小屋や寄席ができます。人形町という地名は芝居小屋の人形師が多く暮らしていたことから名付けられました。
明治5年に水天宮が移転してくると新たな繁華街としての整備が進められます。現在の明治座の起源である吉昇座は明治6年に開設されました。
当時の横丁は今よりも南にあり、道幅も狭かったようです。入り口付近に尾張屋という甘酒屋があって大繁盛していたことから当時は「甘酒屋横丁」と呼ばれていました。
関東大震災後の区画整理で現在の道幅となり、呼び名も「甘酒横丁」として地名となり現在に至っています。
日本橋周辺は戦後オフィス街となって街並みが激変しますが、それでも人形町界隈は江戸情緒が感じられる場所として人気スポットとなっています。
「甘酒横丁」交差点が入り口になります。
個性的な店が立ち並んでいます。
明治座へ向かう客をターゲットとした老舗の名店も数多くあります。
かつての甘酒屋である尾張屋があった場所にある「玉英堂」です。
「甘酒横丁由来の地」という貼り紙を出していました。どら焼きで有名な和菓子店ですが、甘酒は飲めないようです。
甘酒横丁周辺はいつ行ってもほうじ茶の香りが漂っています。お茶専門店の「森乃園」です。
閉店した尾張屋から甘酒を引き継いだ豆腐屋の「双葉」です。
自家製の豆腐やがんもどきが評判の店ですが、店頭で甘酒を飲むこともできます。
麻布十番の「浪花屋総本店」四谷の「わかば」と並び「たい焼き御三家」と呼ばれる「柳家」です。
この日も店内はたい焼きを待つ人で一杯でしたが、行列が道路にまで伸びることも珍しくありません。
尻尾まであんが詰まった焼き立てのたい焼きは皮がパリパリしていて大変に美味しいのですが、何しろ熱いので食べるのに注意が必要です。
人気の鶏肉専門店の「鳥忠」です。鶏肉のそぼろが入った玉子焼きの親子焼きが看板商品です。
老舗の三味線専門店の「ばち英楽器店」です。三味線の修理も扱っています。
老舗のそば屋もあります。
横丁から一本外れますが、すき焼きの名店である人形町今半の本店もあります。
中村座と市村座の芝居小屋があった人形町周辺は江戸歌舞伎発祥の地とされ、浜町緑道には「勧進帳の弁慶像」が置かれています。
「名前は知っているけど何をやっているかよくわからない」日清紡の本社は甘酒横丁に面しています。
甘酒横丁の終点にいちする明治座です。もともとは歌舞伎の殿堂でしたが、現在では時代劇公演や歌謡ショーが中心になっています。
甘酒横丁にはこれ以外にも個性的な店が並んでおり「下町の散歩道」として楽しめるようになっています。水天宮をお参りした際にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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