高館義経堂(たかだちぎけいどう)は義経の悲運を象徴するような書体です。奥の細道の旅で平泉を訪れた松尾芭蕉がこの地に立ち、有名な句を詠んだ場所でもあり、「平泉随一の眺望」と評されています。現在の義経堂および高館は、毛越寺の飛び地境内となっています。
高館義経堂の御朱印
御朱印所
御朱印は拝観受付で扱っています。ここで御朱印帳を預けておくと拝観中に書いておいてくれます。
志納金300円
御朱印
義経の悲運を象徴するような御朱印を頂きました。
源義経終焉の地に建てられた高館義経堂
源義経は兄である頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びて藤原氏三代秀衡の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。しかし秀衡の死後、子の泰衡は頼朝の圧迫に耐えかねて義経を急襲し、自害に追い込みます。義経の首は鎌倉へ送られ、遺体だけがこの地に埋められて、そこに小さな祠が建てられたといいます。
祠が年月とともに風化したため、1683年に仙台藩主第4代伊達綱村が義経を偲んであらたに義経堂を建てました。
アクセス
交通
東北線平泉駅徒歩約20分
地図
近隣の寺社
高館義経堂へのアクセス
中尊寺から高館義経堂へ行くためには平泉駅へ向かう県道300号線から離れ、東北本線の踏切を渡らなければなりません。
高館義経堂入口の看板が見えてきました。
この先何かありそうな雰囲気は全くないのですが、看板を信じて坂を上るしかありません。
最後の階段を上がると義経堂があります。
芭蕉の名句の舞台と「平泉随一の眺望」
階段を20段ほど上ると、高台から眺望が開け平泉随一といわれる美しい眺望が広がっています。
義経堂の敷地内には松尾芭蕉の句碑が残されています。「奥の細道」より300年を記念した「平泉芭蕉祭」の記念句碑として、平成元年に建立されました。
「奥の細道」の旅の途中で芭蕉が平泉を訪ねたのが1689年5月13日で、まず高館の丘陵を上って眼下の光景を見たといいます。往時の栄華はなく、旧跡が田畑の夏草の下に埋まってしまっている光景を詠んだ句が「夏草や兵共が夢の跡」です。
当時は金色堂を除く中尊寺の大半の建物が火災で焼失して再建される前の最も荒廃していた時期ですから、栄華盛衰に対する一層の強い思いもあったことでしょう。
義経像を本尊として祀る義経堂
現在の義経堂は1808年に再建されたものです。
安置されている木造は18世紀中ごろの作とされる甲冑姿の像で、一般的に義経とされるこの画像とはかなり異なっています。
義経堂の脇には源義経主従供養塔が立てられています。昭和61年に藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶の800回忌を期したものです。
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