困ったときこそ酒と神様

ようやくたどり着いた、ストレスフリーで酒やうどんを楽しめる日々。これこそがご利益だったのかもしれません。

〖投げ込み寺〗遊女若紫が眠る「浄閑寺」で頂いた遊女御朱印

浄閑寺は都内を代表する心霊スポットで、吉原遊郭で亡くなった遊女の投げ込み寺でした。境内には悲劇の花魁若紫の墓もあります。(時には生きたまま投げこまれた。)御朱印には遊女の姿が描かれています。

遊女が描かれた御朱印

御朱印の場所・種類・時間・値段

御朱印所御朱印はこちらの中にある寺務所で頂けます。こちらでは遊女を描いた御朱印を1種類頂けます。

受付時間

9:00~17:00(3月~11月)

9:00~16:30(12月~2月)

志納金 300円

御朱印

浄閑寺の遊女の姿が描かれた美しい御朱印

ここに眠る数多くの遊女の姿が描かれた美しい御朱印です。

遊女の「投げ込み寺」だった歴史

寺が創建されたのは1655年で、もともと日本橋人形町付近にあった遊郭がその2年後に移転してきました。1855年に発生した安政江戸地震では遊女も多数亡くなりましたが、その際に500名以上の遺体が投げ込むようにして葬られたという事で「投げ込み寺」と呼ばれるようになります。

吉原では身寄りのない遊女が亡くなると人目を避けて密かにこちらに運び込まれ、供養など一切されずに葬られました。「心中」「枕荒らし(客の財布を盗む)」「起請文乱発(お気に入りの客に手紙を出す)」「足抜け(脱走)」等々吉原の掟を破った遊女の場合は、遺体が素裸にされ荒菰に包まれた状態で文字通り「投げ込まれた」そうです。

遊郭としての吉原は何と昭和33年4月1日の売春防止法施行まで存続したので、当地で江戸・明治・大正・昭和と301年続いたことになりますが、関東大震災で亡くなった数も含めて約25000名の遊女がここに運び込まれました。

アクセス

交通

東京メトロ日比谷線三ノ輪駅徒歩約1分

地図

遊女若紫が眠る境内

山門

山門江戸時代のもので荒川区最古の木造建築物として指定されています。

山門脇のお地蔵様

山門脇のお地蔵様名は小夜衣といい、放火の罪をかぶせられ火あぶりにされて死んだ遊女だといいます。

本堂

本堂二階が本堂・客殿で一階がホールとなっています

霊園入口

墓地入り口

ここから先が墓地となっており、その中に新吉原総霊塔を始めとする様々な見どころが点在しています。

遊女「若紫」の墓

遊女「若紫」の墓これは現在まで名が残る「角海老楼」の「若紫」という遊女の墓になります。5年間の年季があと5日で終了し、年季明けには晴れて所帯を持つ予定があったにもかかわらず、客の刃に倒れ22歳でこの世を去りました。遊女の墓が単独で置かれることは大変に珍しく、墓石の上部に「角海老」の文字が刻まれています。

永井荷風の詩碑と筆塚

永井荷風の詩碑

筆塚

新吉原総霊塔の向かいに永井荷風の詩碑と筆塚があります。遊女の暗く悲しい生涯を思い、度々浄閑寺を訪れていたそうです。

ひまわり地蔵尊

ひまわり地蔵尊

山谷で一人寂しく働き抜いて人生を終えた日雇い労働者と弔うために建立されました。

都内を代表する心霊スポット:新吉原総霊塔

新吉原総霊塔

本堂の裏側に建つ新吉原総霊塔で、それまであった供養塔を昭和4年に改修したものです。

花又花酔の句碑

花又花酔の句碑がはめ込まれています。

骨壺がぎっしりと置かれた様子

塔の横に覗き窓のような穴がありますが、骨壺がぎっしりと置かれた様子が生々しすぎて絶句しました。私は鈍感なタイプなので何ともありませんでしたが、霊感の強い方なら何か感じるかもしれません。 

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