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〖御朱印〗佛日庵の茶室は川端康成の小説の舞台となった

北鎌倉の円覚寺は鎌倉時代に繁栄した往時の姿を現在まで残している貴重な寺院で、山門を抜けて仏殿でご本尊を拝んだ後も次から次へと興味深いものが出てきます。
創建時から存在する妙香池や国宝の舎利殿から白鹿洞へ向かう途中佛日庵(ぶつにちあん)という小さな寺院の横を通りかかります。

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佛日庵は円覚寺の開基である北条時宗をお祀りした寺院で、生前の時宗はこの地に小さな庵を結んで禅の修行をしたといいます。


北条時宗は鎌倉幕府第5代執権の北条時頼の次男として生まれましたが、兄が側室の子であったため正室の子である時宗が家督を継ぐこととなりました。
18歳で第8代執権となりますが、その時すでにモンゴル帝国から服属を求める国書が届いていました。同様の国書はその後度々送られますが時宗はこれを全て無視し、一方で兄の時輔を始めとする一族の不平分子を誅殺して国内の体制を固めます。幕府を批判した日蓮を佐渡に流したのも時宗でした。


二度にわたる元軍の襲来をともに撃退しましたが、御家人に対する恩賞問題が発生し、一方で財政難の中で三度目の襲来に対する備えもしなければならず、難問がいくつも積み重なった中、時宗は32歳の若さで亡くなりました。このときの官位は正五位の下でしたが、外国からの侵略を撃退したという事で幕末から明治にかけて評価が急上昇し、何と従一位が追贈されるまでになります。(逆に戦後ボロクソに言われたこともあったらしい。)


境内にある開基廟には、時宗が禅の修業をしていたときに信仰していた十一面観音坐像と北条時宗、貞時、高時の各木像が安置してあります。

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お堂の下にそれぞれの遺骨を納めた石棺があると伝えられています。


本堂には南北朝期の地蔵菩薩坐像と鶴隠周音木像が安置してあります。

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臨済宗の祖である栄西が留学先の中国から帰国する際に茶の種を持ち帰り、これが後に僧侶の間で抹茶が広まるきっかけとなります。茶道の精神は禅宗の精神に基づくとされ、臨済宗は茶道を定着させたとも言われています。
境内には川端康成の小説『千羽鶴』の舞台になったことでも知られる茶室・烟足軒(えんそくけん)が残されています。

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茶室を囲む苔庭は林家木久蔵作とされています。

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先代の木久蔵である現林家木久扇は鎌倉在住の漫画家で荏原天神社の「かっぱ筆塚」にその名を遺す清水崑の弟子ですが、漫画だけでなく庭造りもできるとは意外でした。
境内には赤い毛氈が敷かれた茶席が並べられ、我々もこちらで抹茶と和菓子を頂くことができます。(500円)

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新緑の時期という事もあって様々な花が綺麗に咲き誇っていました。

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こちらではご本尊の地蔵菩薩坐像、開基廟の十一面観音坐像、北条時宗公像の三種類の御朱印を頂けますが、御朱印帳が残り2頁ということでご本尊と時宗公の2種類頂きました。

御朱印

昨年の12月16日に赤坂の豊川稲荷で購入した4冊目の御朱印帳もこれで一杯になりました。紙質が最高であったので墨が裏まで染みることが無く、表裏全て埋めることができました。今後同じレベルの御朱印帳を探すのに苦労しそうです。