葛原岡神社は銭洗い弁財天への坂道をさらに登り切った場所に位置しており、縁結びのご利益で最近よく紹介されています。御朱印は大変にシンプルです。※最終更新日2020年8月1日
葛原岡神社の御朱印
御朱印所
御朱印は大鳥居左手の授与所で頂けます。
受付時間9:00~16:00
初穂料300円
御朱印
大変にシンプルな御朱印です。
縁結びの御利益で知られている
葛原岡神社は最近になって縁結びの御利益のある穴場スポットとして度々テレビ等で紹介されるようになりました。
良縁の神様である大黒様をお祀りしている縁結び石です。男石と女石が並んでおり、お守りを買うと五円玉のついた赤い糸がもらえます。
葛原岡神社の由緒
鎌倉時代末期の廷臣である日野俊基を祀った神社
葛原岡神社は鎌倉時代末期の廷臣である日野俊基を祀った神社です。日野俊基は後醍醐天皇に取り立てられてその秘書的な立場となり、再三にわたり鎌倉幕府討幕の謀議に加わりました。
後に明治天皇は日野俊基を明治維新の先駆けであると高く評価し、最期の地である葛原岡に俊基を祀る神社を創建されたのですが、それが現在の葛原岡神社です。
俊基は「建武の新政」に道を開いたという事で開運の神様、また優れた文章家であったことから学問の神様とされてきましたが、最近は縁結び石の大黒様の関係で縁結びの穴場スポットとしてテレビでも紹介されています。
後醍醐天皇と日野俊基
鎌倉時代の皇室では持明院派、大覚寺派と言う二つの系統が激しく帝位を争っていました。この争いは鎌倉幕府にまで持ち込まれ、扱いに窮した幕府が朝廷に示した調停案が「両統迭立案」なるものです。つまり10年目ごとに持明院派、大覚寺派の両派からかわりばんこに皇太子を立て、帝位を交代していくというものでした。この流れの中で即位したのが「建武の新政」で知られた後醍醐天皇です。
幼少の天皇が続いてきた中で、21歳で皇太子となり31歳で帝位についた後醍醐天皇は十分に思慮分別のついた壮年天皇であったため、それまでの慣例に一切とらわれない英邁豪胆な性格だったと言います。自分を中継ぎの天皇として扱おうとした幕府に反感を持ち、当然のことながらたった10年で帝位を譲るという約束も無視しました。燃えるような性格だった後醍醐天皇に油を注ぐ役割が日野俊基だったのです。
この流れの中で後醍醐天皇は再三にわたり討幕を企てますが、ことごとく事前に発覚しました。一度目の正中の変では俊基は鎌倉に連行されたもの赦免され、後醍醐天皇もお咎めなしとなります。しかし二度目の元弘の乱で俊基は斬刑、後醍醐天皇は隠岐島に流されました。
※関連情報(公式HP)
アクセス
交通
横須賀線鎌倉駅徒歩約35分
北鎌倉駅徒歩約30分(葛原岡ハイキングコース軽油)
地図
葛原岡神社の境内
大鳥居
魔去る石
杯を石に当てて砕き、悪いものを祓う魔去る石です。
本殿
日野俊基終焉の地碑
本殿の脇に日野俊基終焉の地碑が建てられています。当時この地は処刑場だったようです。
近くにある富士山のビューポイントからはちょうどいい感じに富士が見えました。
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