今回は宝戒寺の御朱印をご紹介します。東慶寺と並んで「花の寺」として知られており、境内の梅がちょうど見頃でした。一本の白梅の木にランダムに桃色の花が咲く「思いの儘」は必見です。御朱印は地蔵尊、佛母準胝尊、毘沙門天の3種類いただけます。
宝戒寺の御朱印
御朱印所
御朱印所は本堂内右手にあります。小さな寺院ですが、鎌倉・江の島七福神巡りで混雑していることが多く少し待つことになると思います。
こちらでは本尊である地蔵尊、佛母準胝尊、毘沙門天の3種類の御朱印をいただけます。
受付時間8:00~16:30
志納金300円
御朱印
今回は本尊である地蔵尊の御朱印のみ頂きました。
女性的な、大変に優美な書体の御朱印を頂きました。
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宝戒寺の見どころ
宝戒寺の見どころは何と言っても花です。「萩寺」とも呼ばれる宝戒寺は鎌倉を代表する花の寺で一年を通して何らかの花が咲いており、鎌倉を代表する梅の名所でもあります。
枝垂れ梅
石碑の左側の樹が枝垂れ梅(しだれうめ)のようです。これが満開となると実に見事だそうです。
思いの儘
一本の白梅の木にランダムに桃色の花が咲きます。どこに咲くか全くわからず、思いのまま桃色の花が現れることからこの名が付いています。
宝戒寺の由緒
宝戒寺は鎌倉幕府において代々執権の座を務めた北条氏のゆかりの地です。
第2代執権の義時が屋敷を建てたのが現在宝戒寺の場所であり、以後最後の高時まで代々執権の屋敷となります。
鎌倉幕府滅亡の際はこの付近で高時をはじめ約870人の北条一族が自決しましたが、その慰霊のために北条氏代々の屋敷のあったこの地に建てられたのが宝戒寺で、同時に国家的人材育成のための道場という目的もありました。建立を命じたのは後醍醐天皇ですが、建武の新政が崩壊したことにより、実質的には後を継いだ足利尊氏により行われたようです。
2世住持の惟賢により国家鎮護のために歓喜天像が造立されています。
1538年に伽藍すべてが焼失しますが、江戸時代になって徳川家康の側近である天海大僧正が寺院の保護と持続を願い出て再建されました。
アクセス
交通
横須賀線鎌倉駅徒歩約13分
地図
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宝戒寺の境内
宝戒寺は鶴岡八幡宮の前の道を東に進んだ突き当りに位置しています。
参道
両脇に植えられているのは桜でしょうか。
本堂
宝戒寺は本堂内にあがり御本尊の間近で心行くまでお参りすることができます。昨年8月にもお参りしましたが、扉を全て開け放った本堂の中を涼しい風が抜け、本当に気持ちよかったことを覚えています。
本堂内は大まかに3つに仕切られています。真ん中の壇は、中央に本尊である子育経讀地蔵菩薩、右に梵天、左に帝釈天。右の壇は閻魔大王、左の壇は観世音菩薩と毘沙門天が安置されています。
本尊の子育経讀地蔵菩薩は子育ての御利益が篤いといわれています。
水琴窟
本堂横に水琴窟がありました。柄杓で手前の水を汲んで上の段に流すと綺麗に響く水音が聞こえてきました。
境内社
聖徳大師堂
徳崇大権現堂
鎌倉幕府最後の執権である北条高時を徳崇大権現として祀っています。
大聖歓喜天堂
秘仏である大聖歓喜双身天王をお祀りしています。子宝のご利益が篤く参拝者が絶えません。
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