清水観音堂は上野公園のちょうど入り口付近に位置する清水寺をモデルに建てられた寺院で、境内には江戸名所百景の「月の松」や舞台造の本堂など様々な見どころがあります。上野戦争、関東大震災、東京大空襲といった歴史上の苦難を全て切り抜けた奇跡のようなお堂です。御朱印は堂内で頂けます。
清水観音堂の御朱印
御朱印所
御朱印は堂内左手で頂けます。
志納金500円
御朱印
令和3年1月10日付御朱印
平成29年1月12日付御朱印
躍動感のある御朱印です。
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アクセス
交通
山手線・日比谷線・銀座線上野駅徒歩約2分
地図
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京都の清水寺をモデルにした清水観音堂
天海大僧正は比叡山にならって上野に寛永寺を創建した際、それまでの有名寺院になぞらえて次々と堂舎を建立しますがその中で1631年に建てられたのが清水観音堂です。
当初は公園内の摺鉢山と呼ばれる場所にありましたが、1694年に現在の場所に移築されました。
シミズカンノンドウではなくキヨミズカンノンドウと読み、その何の通り京都の清水寺をモデルにしたものです。本堂の正面が「清水の舞台」を思わせる舞台造りとなっており、建物を模しただけでなく御本尊も清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎えて秘仏としてお祀りしています。
創建年次の判明している中では上野公園内最古の建物です。
赤い色が印象的な本堂はその後の上野戦争、関東大震災、東京大空襲といった様々な苦難を全てくぐりぬけ、現在の地に移築された当時の姿を現在にまで残している国の重要文化財です。
名所江戸百景の「月の松」
江戸時代の浮世絵師であった歌川広重は「名所江戸百景」の中で清水観音堂の「月の松」の姿を描いています。実際の月の松は明治になって台風の被害により失われますが、かつての江戸の風景を取り戻すために2012年12月に復活しました。これにより月の松を通して不忍池の風景を見下ろすことが出来るようになりました。
西郷隆盛の銅像
清水観音堂に隣接して有名な西郷隆盛の銅像があります。寛永寺に彰義隊が立て籠ったことで発生した上野戦争の際、西郷は新政府軍の一員として薩摩軍を率いてちょうど銅像のあるあたりから攻め込んだと言います。
当時は現在噴水広場があるあたりに巨大な根本中堂がありましたが、東大病院付近から撃ち込んでくる新政府軍の砲弾により焼かれ、その他多くの建物も失われました。
西郷の銅像のすぐ裏には上野戦争における彰義隊の戦死者の墓があります。明治政府にとっては賊軍にあたるため「彰義隊」の文字はなく「戦死之墓」と刻まれています。
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