泉岳寺では美しい書体の芸術的な御朱印を頂けます。赤穂事件を扱った忠臣蔵で有名で、境内にには浅野内匠頭と赤穂浪士の墓など見どころが多くあります。
泉岳寺の御朱印
御朱印所
泉岳寺の御朱印所は本堂右手の寺務所になります。
受付時間8:30~17:00
志納金「お気持ちで」
御朱印
美しい書体の芸術的な御朱印です。
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泉岳寺の由緒
泉岳寺は今川義元の菩提を弔うために徳川家康によって1612年に創建された寺院です。もともとは現在の警視庁がある桜田門の近くに位置していましたが、寛永の大火によって伽藍が焼失してしまい、徳川家光の命により現在の地に移転されました。その際に毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の御大名が尽力したことで浅野家との縁ができたきっかけだといいます。
1701年3月14日午前11時半頃に松の廊下の刃傷事件が発生すると浅野内匠頭は即日切腹となり、遺体は菩提寺である泉岳寺に埋葬されました。
赤穂浪士による吉良邸討ち入りは1703年12月14日の早朝4時頃決行され2時間程度で終了し、吉良を打ち取った義士たちは泉岳寺で主君浅野内匠頭の墓前に首を供えて焼香しました。ちなみにその首は翌日泉岳寺の僧が吉良家に届けたといいます。
赤穂浪士は4大名家に預けられたのち、1703年3月20日に幕府の命により切腹となり、遺骸は主君の浅野内匠頭と同じ泉岳寺に埋葬されました。
アクセス
交通
浅草線泉岳寺駅徒歩約3分
地図
境内の見どころ
ちょうどこの日は義士祭り開催中でした。
中門
1836年に再建されたものです。
参道は平日にも関わらず祭で賑わっていました。
山門
1832年に再建されたものです。
大石内蔵助像
本堂
旧本堂は先の大戦で焼失し、現在の建物は昭和28年に再建されたものです。
血染めの梅・血染めの石
浅野内匠頭が切腹した際にその血がかかったとされる梅と石です。
首洗い井戸
本懐成就の後、吉良の首級を洗ったとされる井戸です。
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赤穂浪士の墓
義士墓入り口の門
浅野家の屋敷の裏門を移築したものだそうです。
浅野内匠頭奥方の墓
浅野内匠頭の墓
義士たちの墓の配置図
預かりとなった屋敷ごとに並んでいました。
義士たちの墓
戒名に全員「刃」の字が入っています。
大石内蔵助の墓
浅野内匠頭の隣に位置しています。
大石主税・堀部安兵衛の墓
一番奥の枠の中が大石主税の墓、その手前が有名な堀部安兵衛の墓です。線香の煙が物凄く、目が痛くなりました。
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