江島神社は「辺津宮(へつのみや)」「中津宮(なかつみや)」「奥津宮(おくつみや)」の三宮から成る神社で、御朱印帳は5種類、御朱印は10種類あります。三宮の他に江島神社発祥の地である岩屋も必見です。
御朱印帳は5種類、御朱印は10種類ある
御朱印所
御朱印所は辺津宮の奉安殿の向かいにあります。
受付時間9:00~17:00
初穂料300円
御朱印帳
御朱印帳は全部で6種類あり、価格は2000円~2500円です。紙質は良好でした。
御朱印
江島神社の御朱印は全部で何と10種類あり、江島神社と江島弁財天は直書きで、それ以外の8種類は書置きのみとなっています。
江の島神社と江島弁財天の2つの御朱印を並べて、真ん中に「奉拝」と書かれた見開きの御朱印を頂きました。
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仏教と神道が入り混じった江島神社の歴史
名だたる高僧が修行した岩屋の洞窟
江島神社は533年に欽明天皇の勅命により現在の岩屋の場所に神様を祀ったのが始まりといわれています。二つの洞窟からなる岩屋は江の島弁財天信仰の発祥地と考えられており、弘法大師や一遍、日蓮など名だたる高僧の修行の場となりました。
そして814年に空海が岩屋に本宮を造り、853年には慈覚大師が上之宮を創建します。1206年には、慈覚上人良真が鎌倉幕府三代将軍の源実朝に願って下之宮を造りました。
源頼朝が持ち込んだ弁財天信仰、江戸時代には仏教と習合
鎌倉時代には、岩屋に参籠して戦勝祈願を行った源頼朝が八臂弁財天と鳥居を奉納したことで戦いの神としての弁財天信仰が広まります。
江戸時代の泰平の世となると「戦いの神」から「芸能・音楽・知恵の神」として、また「福徳財宝の神」として信仰されるようになり、1649年には仏教との習合により金亀山与願寺と号します
明治になり純粋な神社に、御祭神も新たに祀る
明治になって神仏分離令が出されると仏式を全廃して改めて「江島神社」と号し、本宮は奥津宮、上之宮は中津宮、下之宮は辺津宮と改称して新たに御祭神を祀りました。
一番低い場所にある辺津宮
青銅の鳥居
1747年に造営され、1821年に再建されたものです。参道の道幅は江戸時代から変わっていません。
朱の鳥居
昭和11年に再建されたものです。
瑞心門
江島神社の楼門で、一風変わった造りは竜宮城を模しています。
辺津宮
江島神社に祀られた三女神のうち一番低い位置にあるため下之宮と呼ばれています。鎌倉幕府三代将軍の源実朝が創建し、1675年に再建された後、1976年に大改修が実施されました。江島神社に祀られた三女神のうち、田寸都比売命を祀っています。
奉安殿
八臂弁財天と妙音弁財天が安置されており、弁財天信仰が盛んだった江戸時代には江の島詣の人々で大変な賑わいを見せました。
江の島の中腹にある中津宮
中津宮
三女神の内の市寸島比売命をお祀りしています。853年に慈覚大師により創建されたものを1689年に徳川五代将軍綱吉が再建し、本殿・幣殿・拝殿からなる元禄時代の権現造りの姿を再現しました。
本殿
権現造の拝殿の裏には御祭神を祀る本殿があります。
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江の島の頂上に位置する奥津宮
石鳥居
源頼朝が寄進したといわれています。
拝殿
八方睨みの亀
拝殿の天井に描かれており、本当にどこから見てもこちらを睨んでいるように見えます。これは平成6年に復元されたもので、実物は社務所にて保管されています。
本殿
三女神の内の多紀理毘売命をお祀りしています。現在の社殿は1842年に再建されたもので、1979年と2011年に改修が実施されました。
龍宮
岩屋本宮の真上にあたるところに平成五年に崇敬者により建てられたお宮です。
必見の岩屋
岩屋は島の最奥部にある洞窟で、奥行152mの第1岩屋と56mの第2岩屋があります。
弘法大師や日蓮上人も修行した場所といわれ、江島神社発祥の地として崇められてきました。
長い年月をかけて波の浸食によりつくりあげられた薄暗い洞内は岩がむき出しで、天井が低くかがまなければ通り抜けられないような場所もあり、神秘的で興味深い場所でした。
江の島岩屋は台風被害により長らく閉鎖されてきましたが、令和2年2月1日(土)より再開されました。
岩屋から江の島弁天橋の入り口までは遊覧船「べんてん丸」で結ばれており、島の中心部を通らなくても楽に帰ることができます。
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