千束稲荷神社では「家内安全」「商売繁盛」とご利益が記されたスタンプが押された御朱印を頂けます。5000円札に描かれている樋口一葉が明治26年から27年にかけて近所に住んでいたことがあり、代表作の「たけくらべ」には神社の祭りが登場します。
千束稲荷神社の御朱印
御朱印所
御朱印は社殿向かって右側の社務所でいただけます。
初穂料500円
御朱印
「家内安全」「商売繁盛」とご利益を記したスタンプが押されています。
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樋口一葉ゆかりの神社
室町時代から続く「千束」という地名
千束という地名が初めて登場するのは室町時代です。当時は現在の浅草から千住大橋のかけてのエリアが「千束郷」と呼ばれていましたが、「この地の水田が稲千束の税に相当する」ということに由来するといいます。16世紀末に龍泉寺が創建されたことから、このあたりは龍泉寺村と呼ばれるようになります。
この辺りは長らく「浅草田んぼ」と呼ばれる一面の田園地帯でしたが、1657年に発生した明暦の大火の後に吉原遊郭が移転してきたことにより様子が一変します。
田畑を埋め立てて造成した東京ドーム2つ分ほどの長方形の敷地に現在の日本橋から遊郭を移転させ、「お歯黒どぶ」と呼ばれた堀と黒板塀で周囲を囲っていました。これによりこの地は江戸を代表する歓楽街となります。
千束稲荷神社の由緒
千束稲荷神社の創建時期は不明ですが、17世紀後半であろうと考えられています。千束郷には浅草寺境内の上千束稲荷と下千束稲荷の二社に分かれており、後に千束稲荷神社となる下千束稲荷は北千束郷の鎮守としてお祀りされていました。ちなみに上千束稲荷は現在は存在しません。
やがて吉原遊郭へ向かう茶屋町通り沿いに町並みが形成されたことから1745年に下谷竜泉寺町として町奉行支配となり、これにより千束稲荷神社は竜泉寺町の鎮守となりました。
関東大震災の後に実施された区画整理のため現在は東に50メートルの場所に移動しています。
「たけくらべ」の舞台になった神社
樋口一葉は明治26年から27年にかけて千束神社の近隣である現在の竜泉一丁目に居住しており、この地での体験がもとになって代表作である「たけくらべ」が生まれたといいます。「たけくらべ」には祭りで主人公が喧嘩をする場面がありますが、これは当時の千束稲荷神社の例祭がモデルになっているとされています。
樋口一葉と神社の縁を伝えるために境内に文学碑が設けられています。
アクセス
交通
日比谷線三ノ輪駅徒歩約3分
地図
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千束稲荷神社の境内
神社の看板
鳥居が見えないような場所からも気が付くようになっています。
大鳥居
1813年に建立されました。
拝殿
本殿
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★スマホで御覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。
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