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〖鎌倉〗日蓮宗の聖地である大町で頂く御朱印まとめ

今回は鎌倉の大町で頂ける御朱印をご紹介します。鎌倉入りして辻説法を行った日蓮が拠点とした地域で、松葉ヶ谷法難や龍ノ口法難にまつわる場所が集中している日蓮宗にとって重要な地域です。現在3つの寺院が日蓮の草庵の跡地であることを主張しています。

日蓮宗の聖地である大町

大町は鎌倉の中心部と材木座の途中に広がる、入り組んだ山に沿った地域です。横須賀線や逗子へと続く県道311号線が通過する交通の要衝でありながら、一歩外れただけで都会の喧騒から完全に切り離され、鳥の鳴き声しか聞こえないような全くの別世界に入りこんでしまうような場所です。

比企谷(ひきがやつ)、松葉ヶ谷(まつばがやつ)といった日蓮宗にとって大切な場所を抱えるのも大町の特徴です。

歴史的風土特別保存地区に位置する妙本寺

妙本寺の惣門妙本寺が位置する一帯は比企谷と呼ばれています。源頼朝につかえた御家人の比企能員は北条氏との精力争いに敗れ、1203年に一族は皆殺しになります。たまたま京都にいて唯一生き残った末子の能本がこの地にあった一族の屋敷を日蓮に献上したことが妙本寺の始まりです。

800年前の鎌倉時代の森この辺りは古都保存法に基づく歴史的風土特別保存地区に指定されていますが、800年前の鎌倉時代の森がそのまま残っているそうです。

二天門朱塗りの二天門は1840年に建立されたものです。

祖師堂祖師堂は約170年前に建立された鎌倉でも最大規模の木造のお堂で、二天門をくぐって正面に仰ぐと「来て良かった」としみじみ感じます。

琴弾橋近隣にある琴弾橋ではいつも人力車が数台とまっています。鎌倉では珍しい、朱塗りの欄干の橋で、かつてこの橋の近くに琴弾きの松と呼ばれる松があり、枝が風にゆれると琴を弾くような美しい音がしたと伝えられています。

御朱印大変に素朴な御朱印です。

「ぼたもち寺」として知られる常栄寺

常栄寺の山門常栄寺は一風変わった外見の寺院で、「ぼたもち寺」として知られています。

常栄寺の本堂龍ノ口刑場へ引き回される日蓮に対し、最後の供養として胡麻のぼたもちを差し出した老女がいました。その後怪奇現象が相次ぎ日蓮の処刑が直前で中止となったため尼は日蓮を救ったとして信仰の対象となり、江戸時代になって尼の住居跡に建てられたのが現在の常栄寺です。

御朱印御朱印は日蓮にぼたもちをささげた桟敷の尼のエピソードを和歌にしたもので、「これやこの法難の祖師に萩のもち棒げし尼がすみにしところ」と書かれています。

絶景ポイントの見晴らし台がある八雲神社

八雲神社の大鳥居八雲神社は常栄寺の前の細い道をほんの数分南に進んだ住宅街の中に位置しています。

拝殿創建は1083年で、新羅三郎義光が京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請した神社だと伝えられています。当時の鎌倉では疫病が流行して人々が困っており、義光が「厄除神」として知られた祇園社を勧請して祈願しました。

新羅三郎手玉石新羅三郎手玉石が境内の御神木の下にあります。これくらいの石を手玉に取れるくらい力持ちだったという事でしょう。

見晴らし台からの眺望八雲神社は祇園山ハイキングコースの入り口となっており、ハイキングコースの山道を5分程度上がると見晴台に出ることが出来ます。材木座から由比ヶ浜、稲村ケ崎まで一望でき、空気が澄んでいれば長谷の山越しに富士山や丹沢まで見えるそうです。

御朱印誠に堂々たる御朱印です。

癌封じで有名な上行寺

上行寺の外観上行寺は一度見たら忘れられない不思議な外観で、癌封じの寺として有名です。

創建は1313年で700年以上の歴史のある寺院です。日蓮の弟子の日郎は多くの弟子を育成しましたが、その中でも特に優れた9人が後に九老僧と呼ばれました。上行寺の開山はこの九老僧の一人である日範です。

本堂本堂は1886年に妙法寺の法華堂を移築したものです。

浄行堂浄行堂は境内の西側にありますが、さらにびっくりするような光景となっています

御朱印御朱印にも「癌封じ」と書かれています。

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鎌倉最古の塔がある安養院

安養院の前身である長安寺は1225年に北条政子が源頼朝の菩提を弔うために長谷の現在鎌倉文学館がある場所に建てた寺院です。七堂伽藍が建つような大寺院でしたが1333年の新田義貞による鎌倉攻めにより焼失してしまい、同じく焼失した善道寺の跡地である現在の地に移され、政子の法名から安養院という名前となりました。

オバケツツジ門前のオオムラサキツツジはオバケツツジと呼ばれるほどの大きさがあります。

御神木の槇の木御神木の槇の木は鎌倉市の天然記念物で樹齢約700年といわれ、善道寺の開山である尊観上人が手ずから植えたという伝説が残っています。

本堂1680年に安養院は再び焼失しますが、頼朝の家臣であった田代信綱が建立していた田代寺の観音堂を移築し再建されました。

宝篋印塔宝篋印塔は鎌倉に現存する最古の塔とされています。

御朱印美しい書体の御朱印です。

松葉ヶ谷草庵跡の石碑がある妙法寺

妙法寺は日蓮宗にとっての聖地である松葉ヶ谷に位置し、街の喧騒からは切り離された緑豊かな中にあります。

妙法寺の山門鎌倉入りして辻説法を始めた日蓮が生活の拠点としたのが松葉ヶ谷で、この地で「立正安国論」を執筆して鎌倉幕府第5代執権の北条時頼に提出します。当時起こっていた地震、異常気象、疫病、飢餓はすべて仏教の他の宗派に原因があるとしていたため、後に他宗の僧ら数千人によって草庵が焼き討ちされますが、これが世に言う「松葉ヶ谷法難」です。日蓮は危ういところを脱出して現在の下総中山に避難しました。

現在では妙法寺、安国論寺、長勝寺が松葉ヶ谷草庵跡を称していていますが結論は出そうにありません。(長勝寺はかなり怪しい)

本堂本堂は1818年から1830年までの文政年間に肥後藩主である細川家が建てたものです。

仁王門朱塗りの仁王門は江戸時代に第11代将軍の家斉を迎えるためだったといいます。

苔の石段妙法寺は苔寺とも呼ばれており、仁王門の奥には苔に覆われた石段が続いています。

松葉ヶ谷草庵跡の石碑石段の上には松葉ヶ谷草庵跡の石碑があります。

御朱印日蓮の精神を偲ばせる大変に力強い御朱印です。

法難で日蓮が身を隠した南面窟がある安国論寺

安国論寺の山門安国論寺は松葉ヶ谷の一番奥まった場所に位置しています。

本堂松葉ヶ谷草庵の跡であると主張している安国論寺は妙法寺や長勝寺とともに、公式には日蓮が開山という事になっています。

御小庵日蓮が「立正安国論」を執筆したと言われる御法窟の前に御小庵が建てられています。

南面窟松葉ヶ谷の法難の際に日蓮が一時的に身を隠したとされる南面窟で、寺にとって重要な聖地であるせいかコンクリートで固められており、一番奥だけ岩盤がむき出しとなっていました。

南面窟の内部1260年8月27日の夜に御小庵にいた日蓮の袖をひくものがおり、何事かと見ると白猿がどこかへ案内しようとします。これにより日蓮は危ういところを襲撃から逃れてこの南面窟に避難できたとされています。

f:id:minamimachida0706:20180816231626j:plainとてもかっこいい御朱印です。

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