酒とうどんと御朱印の日々

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〖飯能〗能仁寺の御朱印と庭園とここに大寺院がある理由

今回は飯能の能仁寺(のうにんじ)の御朱印をご紹介します。観音寺から徒歩10分ほどの距離にありますが、飯能駅に着くまで全く知らなかった寺院です。(駅の観光マップで初めて知った)訪れてみると広大な敷地に伽藍が整備され、美しい庭園も備わった大寺院で、誠に失礼ながら「何で飯能にこんな寺院が?」と思いました。

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飯能に大寺院がある理由

能仁寺は室町時代末期の1501年に地元の豪族である中山家勝が名僧斧屋文達師を招いて創建したのが始まりとされています。

当時は戦国の動乱期で家勝は関東管領山内上杉氏に仕えていましたが、1546年の河越城を巡る戦いで上杉憲政が小田原の北条氏に敗れたため後ろ盾を失うことになったため、家勝は今度は北条氏に属することになります。

家勝の死後、子の家範が父の菩提を弔うため、1573年に本格的な寺に改めて一族の菩提寺とします。

豊臣秀吉の小田原攻めに際して家範は八王子城で前田利家と戦い、防戦空しく全滅して家範も自害しますが、北条氏に変わって関東に入った徳川家康が八王子城での家範の最期に深く感銘したことで一族の運命が急変します。家康は家範の遺児たちを探し出して長男と次男を召し抱え、長男の照守が秀忠のもとで戦功をあげた結果、中山家は最終的には3500石の旗本となりました。

照守の四代後の直邦は黒田家の養子になりますが、当時の黒田家が舘林藩主であった徳川綱吉の家老職であったことから第五代将軍就任後は寺社奉行を勤め老中に昇任するなど破格の出世をします。

直邦は1705年に老朽化した寺を改築して伽藍を完成させ、それにより能仁寺は七堂伽藍を構え50人の雲水を抱える禅寺となりました。幕末の飯能戦争でそのほとんどを焼失しますが、昭和になって再建され、かつての姿を取り戻しています。

能仁寺の御朱印

御朱印所

御朱印所御朱印は書院内の受付で頂くことができます。

志納金300円

御朱印

御朱印丁寧に書かれた御朱印です。

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能仁寺の境内

山門

山門

参道

参道

入り口

入り口

本堂

本堂

開山堂

開山堂

不動堂

不動堂

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ぜひ拝観したい能仁寺庭園

能仁寺庭園

本堂北側の庭園は天覧山の傾斜を利用した美しいもので、桃山時代に作庭されたと推定されています。日本名園百選にも入っており、東日本の代表的な庭園です。

拝観は書院で受け付けていますが、本堂も拝観コースに含まれており、御本尊を間近な場所から拝むことができます。

スポーツ界の名士が訪れる「スポーツ寺」

能仁寺の31世住職は報知新聞のスポーツ記者という異色の経歴の持ち主で、新聞記者時代から続く親交によりスポーツ界の名士が数多く寺を訪れています。書院から庭園へと向かう廊下には寺を訪れた多くの選手の言葉が残されています。

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