酒とうどんと御朱印の日々

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〖石段〗久能山東照宮の御朱印と2通りのアクセス

今回は久能山東照宮の御朱印をご紹介します。言わずと知れた日本を代表する東照宮で以前から関心をもっており、桜が満開の土曜日に発作的な思いつきでお参りしてきました。東京に住む者にとって最も問題となるのはそのアクセスで、静岡駅構内の観光案内所のおかげでスムーズにたどり着くことができました。

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久能山東照宮の由緒

久能山久能山は駿河湾の海岸沿いに隆起してできた標高216mの山で、1568年に武田信玄が城を築いたほどの要害の地です。1582年に武田家が滅亡すると徳川家康の所有となり、後に「久能城は駿府城の本丸と思う」と述べるほど徳川家にとって重要な場所となります。

1616年に家康が死ぬとその遺言により遺骸は久能山に葬られ、翌年には秀忠によって社殿が造営されます。そして3代将軍家光の時代に日光東照宮の造営とならんで久能山の整備も命じられ、社殿以外の建物が増築されて現在の姿となりました。

久能山東照宮の御朱印

御朱印所

久能山東照宮の御朱印は拝観受付の隣で扱っています。こちらで御朱印帳を一旦預け、帰りに受け取ります。

初穂料300円

御朱印

御朱印オーソドックスな御朱印です。

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久能山東照宮への2通りのアクセス

久能山周辺の案内図久能山東照宮へのアクセスとしては日本平からロープウェイを利用するルートと久能山下から1159段の石段を登る表参道の2通りしかありません。(不明な点があれば静岡駅北口にある観光案内所で聞いてみてください。待ってましたとばかりに説明してくれます。)

ロープウェイ(こちらが推奨されている)

JR静岡駅よりしずてつジャストライン日本平線の終点「日本平」で下車するとロープウェイ乗場入口です。

ロープウェイ日本平の方が標高が高いので,ロープウェイは久能山に向かって下ります。

バスの乗車時間は約50分となっていますが、私が日本平から静岡駅まで乗車した際は1時間10分程かかりました。

表参道

22番バス乗り場

バスルート

石段のある久能山下(くのうやました)へは静岡駅南口22番バス乗り場から東大谷行を利用し、終点で久能山下行に乗り換えます。(直行便もあるが本数が少ない)

案内看板バス停周辺はイチゴ農園ばかりで一瞬途方にくれましたが、この看板を見て安心することができました。

1159段の石段でできた表参道

山下石鳥居
久能山東照宮の表参道は山下石鳥居より本殿前まで17曲り1,159段ある石段で、愛宕神社(出世の石段)86段・戸隠神社宝光社270段・秩父御嶽神社368段・新倉富士浅間神社398段と比較しても段数において際立っています。

17曲り

相当な覚悟をもって参道に向かいましたが、斜面をジグザグに登っていくため傾斜が緩く、それほど大変ではありませんでした。

見頃の桜この日はちょうど桜が見頃でした。

駿河湾と一面のイチゴ農園最上部の見晴台からは駿河湾と一面のイチゴ農園を一望できます。

久能山東照宮の境内

案内図

案内図

一ノ門

一ノ門元は櫓門でしたが明治17年に暴風によって倒壊しその後平屋に改められました。

楼門(重要文化財)

楼門

神厩(重要文化財)

神厩当初は家康の愛馬を飼育していましたが、現在は左甚五郎作と伝えられる木像の神馬が納められています。

鼓楼(重要文化財)

鼓楼創建当時は鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離の際に鐘を太鼓に替えて現在の名称となりました。

神楽殿(重要文化財)

神楽殿もともとは武家が奉納する絵馬が掲げられる場所でした。

抹茶と和菓子神楽殿では抹茶と和菓子を頂くことができます。

神庫(重要文化財)

神庫正倉院と同じ校倉造りの建物で、博物館ができるまでは神社に伝わる宝物類が納められていました。

唐門(重要文化財)

唐門拝殿正面の門です。

羽目板羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫があります。

御社殿(国宝)

拝殿

本殿拝殿と本殿を床の低い「石の間」でつないだ権現造です。

廟門(重要文化財)

廟門家康の廟所に通じる門です。

廟所参道(重要文化財)

廟所参道

神廟(重要文化財)

神廟家康の遺骸を埋葬した場所です。

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境内社

厳島神社・稲荷神社

厳島神社・稲荷神社

日枝神社(重要文化財)

日枝神社創建当時は東照大権現の本地仏である薬師如来像が安置されていましたが、明治時代の神仏分離の際に仏像を移し、楼門内東側に鎮座していた山王社の御神体を納めて社名を日枝神社と改めました

家康の墓は久能山か日光か?

家康は1616年に亡くなる前に細かな遺言を残していますが、自分の死後については以下の通りの内容となっています。

「久能山に納め、御法会を江戸増上寺、靈牌は三州大樹寺、御周忌終て下野国日光山へ小堂を營造、京都には金地院に小堂をいとなみ所司代はじめ武家の輩進拜せしむべし。」

(自身が死んだら遺体を久能山に納め、葬儀は江戸にある増上寺で行い、三河にある大樹寺には位牌を納め、そして一周忌の法要が済んだら日光に小堂を造り、また京都の金地院にも小堂を建てて京都所司代や武家の者どもを参拝させよ)

一般的には一周忌が過ぎて遺体を日光東照宮に改葬したといわれていますが、遺体は久能山のままで霊魂だけ日光に移したという説もあります。久能山にも日光にも家康の廟所がありますが、中を開けて調査したことがないのでどちらとも言えないようです。

日光といい勝負である

桜が満開の週末でしたが、一年中狂ったように混雑している日光東照宮に比べればはるかに落ち着いており、その分だけ美しい建物をじっくりと鑑賞することができました。(日本平のロープウェイ乗り場には長蛇の列ができていた。)

久能山東照宮は日光山中の二社一寺に比べれば規模の点ではるかにコンパクトですが、満足度ではいい勝負だったのではないかと思います。

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