今回は富岡八幡宮の御朱印をご紹介します。
- 富岡八幡宮の由緒
- 富岡八幡宮の境内
- 江戸勧進相撲発祥の地である富岡八幡宮
- 境内社(本殿東側)
- 境内社(本殿西側)
- 富岡八幡宮境内で発生した殺人事件の概要
- 世間からは冷ややかな眼で見られている
- 有力神社の宮司職を天下り先として狙う神社本庁
- 御朱印
事件が風化する前にあえてお参りしてみました。
富岡八幡宮は東京十社に連なる由緒ある神社であり、いつかお参りに行かなければと思っていた矢先、宮司が敷地内で殺害されるというショッキングな事件が発生してしまいました。そして事件をめぐるマスコミの報道の中で富岡八幡宮が抱え込んでいた様々な影の部分が表面化することになります。
そのような場所にお参りすることが果たしていかがなものか随分と考えたのですが、ともかく一度現地を訪れてみなければ何もわかりません。事件から一ヶ月以上経過した今なら特に不謹慎でもなく、また事件が風化してもいない絶好のタイミングではないかと思い、あえてお参りしてみることにしました。
富岡八幡宮の由緒
富岡八幡宮は菅原道真の末裔といわれる長盛法印が神託によりこの地に八幡神を祀ったのが始まりとされています。
八幡神は源氏の氏神であることから、江戸時代になると源氏を称していた徳川将軍家の保護を受け、「深川の八幡様」として庶民からも親しまれました。
明治になると朝廷より准勅祭社定められるなど皇室との結びつきも強く、東京大空襲によって社殿が焼失した際には昭和天皇が自ら現地を視察しています。
現在の社殿は昭和31年に再建されたものです。昭和50年には東京十社の一つにも定められています。
富岡八幡宮の境内
境内案内図
大鳥居
富岡八幡宮の大鳥居は永代通に面しています。
正面参道
寒さのせいか空気が澄んで引き締まっており、一か月前に殺人事件があった境内とはとても思えない清々しさがあります。事件の影響で閑散としているかと思ったのですが、それなりの参詣客がありました。しかしこの後お参りした深川不動堂との差は歴然としていました。
伊能忠敬像
現在の門前仲町に居を構えていた伊能忠敬は、測量に出る際は富岡八幡宮をお参りして旅の無事を祈願していたそうです。
神輿庫
二基の御本社神輿を収めています。平成3年に奉納された御本社一の宮神輿は日本一の大きさと豪華さを誇ります。
力持ち碑
神社でよく見る力石と思われます。
拝殿
現在の社殿は昭和31年に造営された鉄筋コンクリート造の「重層型準八幡造り」です。
本殿
御神木
本殿の奥にあります。
江戸勧進相撲発祥の地である富岡八幡宮
富岡八幡宮は1684年に初めて寺社奉行の許しを得て開催された江戸勧進相撲発祥の地になります。開催地が両国の回向院に移されるまでの約100年間、この地で春と秋の年2場所の相撲興行が定期的に開催され、その間に番付制度が確立しました。
現在でも新横綱が誕生すると境内で土俵入りが行われる他、相撲にまつわる数々の石碑が建っています。
大関力士碑
正面参道すぐ右手にあります。
横綱になることなく引退した大関(陥落していても可)の名前が刻まれています。最後が琴欧州ですから、引退後に刻まれるようです。
強豪関脇力士碑
大関力士碑のすぐ隣にあります。何をもって強豪関脇とするのかよくわかりませんが、後のプロレスラー力道山の名前もありました。
手形・足形
巨人力士身長碑
かつての巨人力士の身長が刻まれていますが、名前の知らない力士ばかりでした。
横綱力士碑
明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に建立された歴代横綱を顕彰する碑です。
こちらには初代明石志賀之助から稀勢の里までの名前が刻まれています。
境内社(本殿東側)
富岡八幡宮の境内には何と17社におよぶ末社が鎮座しています。
永昌五社稲荷神社
地元の肥料商関係者から絶大な信頼を集めています。
八つの末社
一番左の花本社には松尾芭蕉が祀られています。芭蕉は深川に仮住居を設け、生涯で最も長く暮らしました。
七渡神社・粟島神社
七渡神社は八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神で、関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。
粟島神社は裁縫上達の神様として信仰を集めています。
境内社(本殿西側)
向かって右から「大鳥神社・鹿嶋神社」「恵比寿社・大国主社」「金刀比羅社・富士浅間社」
大鳥神社では毎年11月の酉の日に酉の市が開催されます。恵比寿社は深川七福神巡りに含まれています。
富岡八幡宮境内で発生した殺人事件の概要
平成29年12月7日に第21代宮司と運転手が宮司の弟で第20代宮司だった男とその妻に日本刀で襲われ宮司は死亡、運転手は重傷、容疑者の男は共犯者の妻を殺害した後に自殺したというものです。
男は父の引退により第20代宮司となりましたが素行不良により解任され、再び父が宮司に復帰します。しかし高齢となったことから長女を後任の宮司として任命するよう神社本庁に具申していたが、7年の間に3回出された具申を庁側が認めず先延ばしするという「事実上の無視」を続けました。そのため富岡八幡宮は神社本庁から離脱して長女が正式に第21代宮司に就任します。
宮司を解任されたことについて父や姉に対して逆恨みをしていた男は自分の息子を富岡八幡宮の宮司にすることを要求していましたが、姉が正式に宮司となったことで自暴自棄になって犯行に及んだと考えらえています。
世間からは冷ややかな眼で見られている
今回の事件にまつわるマスコミの取材により、神社の金満体質が浮き彫りになりました。宮司を解任された弟は宮司時代に毎晩銀座を飲み歩き、月に100万、200万円を使いこみ、女性にだらしなく複数回離婚しています。また殺された姉も宮司代務者となってからは、新宿歌舞伎町のホストクラブにも足しげく通っていたといいます。実際にお参りしてみた神社が思いのほか清々しい空間であっただけに、裏でこの様なことが行われていたことに対しては残念でなりません。
正月三が日の初詣客の数が激減したというニュースを見ましたが、今回お参りして見ると近隣の深川不動堂との人出の差は歴然としたものがありました。それだけ人々からは冷ややかな眼で見られているという事は間違いないようです。
神社のHPを見るとトップページにデカデカと宮司代務者による「お詫び」が掲載されていますが、一日も早く新体制をスタートさせて信頼回復に努めてもらいたいと思います。
有力神社の宮司職を天下り先として狙う神社本庁
今回問題をさらにややこしくしたのが、長女の正式な宮司への就任具申を7年間に渡って事実上無視し続けた神社本庁の態度にあります。
神社本庁はGHQの命令により解散した神祇院を引き継いで昭和21年に発足しました。約8万社の神社を統括する団体ですが、各神社にはそれぞれの由緒があり、同じ神道でも八幡宮、稲荷神社、天満宮など様々で統一した教義など不可能であり、求められたのは「精神的統合の紐帯」的役割であったといいます。しかし設立から70年近く経過した現在では宮司の人事権を握るまでになっています。
宮司の人事は、氏子などから選出された3人以上の責任役員のうち、代表役員(神社の場合は宮司)を除いた責任役員の推薦(具申)をもとに、神社本庁(正確には「統理」)が任命すると神社本庁庁規、神社規則に定められています。
最初に具申が出された平成22年の段階ですんなりと新宮司が決定していれば今回の事件は全く違った展開になったと思われます。今回具申を7年に渡って事実上無視を続けた理由について神社本庁は回答していませんが、「女性宮司を認めたくないから」とも言われています。
【富岡八幡宮殺人】神社の闇…カネと後継者争いは「ヤクザの世界」 | ビジネスジャーナル
神社の後継者争いに神社本庁が介入してトラブルになっている事例としては全国の八幡宮の総本山として有名な大分の宇佐神宮があります。今回明らかになったように一部有力神社の宮司ともなればけた外れの金を手にする事が出来るため、神社本庁職員の定年退職後の天下り先として狙われており、今後もこのような介入は激化することが予想されています。
そのため神社本庁からの離脱の動きは年々加速しており、平成17年からの10年間で214もの神社が離脱し、中には石川県の気多大社(平成17年)、京都府の梨木神社(平成25年)などの有力神社も含まれています。(明治神宮も一時離脱した)
約400年の歴史を持つ富岡八幡宮に対し、神社本庁の歴史は70年でしかありません。本来清々しい場所であるはずの神社という場所にそれとは相いれないドロドロとしたものを持ち込もうとしているようにしか見えない神社本庁の姿勢にははなはだ疑問を感じております。
御朱印
御朱印は本殿脇で頂けます。
東京十社の神社にふさわしい御朱印をいただきました。
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