困ったときこそ酒と神様

ようやくたどり着いた、ストレスフリーで酒やうどんを楽しめる日々。これこそがご利益だったのかもしれません。

〖あきる野〗大悲願寺の御朱印と白萩伝説

東京都あきる野市の大悲願寺は鎌倉幕府成立の前年に開かれた歴史のある寺院で、江戸時代には秋川で鮎釣りをした伊達政宗が立ちより、庭に咲いていた白萩を所望されたといいます。境内には江戸時代に建てられた歴史のある建築物が数多く残されており、御朱印も伝統を感じさせるものでした。

大悲願寺の御朱印

御朱印所

寺務所

御朱印は寺務所でいただくことができます。お盆やお彼岸といったお墓参りの時期には不在となることが多く、今回三度目にして初めて頂くことができました。

志納金300円

御朱印

大悲願寺の歴史を感じさせる個性的な書体の御朱印

歴史を感じさせる、実に個性的な書体の御朱印を頂きました。

本格定番おせち一人前

大悲願寺の由緒と白萩伝説

大悲願寺は1191年に源頼朝の命で平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて開山としたとされています。

平山季重は源平の合戦で活躍した武将であり、一ノ谷、八島、壇ノ浦といった戦いで常に先陣を切って勇猛に戦っています。大悲願寺の他に小宮神社、宝蔵寺といった寺社を創建しました。

江戸時代に仙台藩主である伊達政宗が秋川で鮎釣りをした際に大悲願寺に立ち寄りましたが、この時庭に咲き乱れていた白萩を気に入ってしまいました。そのため、ぜひ所望したいという趣旨の書簡を後で送ったといいます。この手紙は白萩文書といわれ、現在も所蔵されています。

仙台と言えば銘菓「萩の月」が有名で、また萩は宮城県花でもあるほど仙台では重要な花ですが、そこに大悲願寺もそこに一役買ったのかもしれません。

アクセス

交通

五日市線武蔵増戸駅徒歩約19分

地図

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大悲願寺の境内

楼門

大悲願寺の楼門

楼門の天井絵

楼門の天井絵

現在の建物は1859年に建てられたもので、幕末期の絵師である藤原善信、森田五水により天井画が描かれています。

楼門の彫刻

また各所に見事な彫刻が施されています。

観音堂

観音堂

1794年に建立されました。正面欄間には地獄と極楽を描いた見事な彫刻が飾られています。平成16年から18年にかけて大規模な修復工事が行われて往時の姿がよみがえり、また色の剥落が激しかった彫刻も新たに彩色が施されました。

無畏閣

観音堂は「無畏閣」と名付けられています。

梵鐘

梵鐘

1672年に鋳造されたもので、江戸時代は時の鐘として近隣の村人に親しまれました。

中門(朱雀門)

中門

1780年に建てられたもので、本柱の前後に二本ずつ四本の控柱を持つことから四脚門とも呼ばれています。

中門の彫刻

こちらも随所に見事な彫刻が施されています。

本堂

本堂

1695年に建てられたもので、この地方の代表的な建築物の一つとなっています。

大悲願寺お砂踏霊場

お砂踏み霊場

大悲願寺の境内には石仏がたくさん点在しています。これは『お砂踏み霊場』といって四国八十八ヶ所霊場のそれぞれの砂を安置したもので、この石仏を巡りってお参りすれば四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同じ御利益をいただくことができるとされています。

一人前から六人前まで幅広く対応します

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