御朱印とうどんを極めたい!!

思うところがあってブログタイトルをリニューアルしました。今後とも一層の御贔屓をお願い申し上げます。

〖浅草〗浄土真宗の東本願寺で頂いた御朱印と見どころ

浅草の東本願寺はかっぱ橋道具街に隣接した浄土真宗の寺院です。浄土真宗の寺院では一般的に御朱印を頂けないと思われがちですが、東本願寺ではしっかりといただくことができました。鉄筋コンクリート造の巨大な本堂は一見の価値があります。

東本願寺は浄土真宗でも御朱印を頂ける

浄土真宗の中で御朱印をしない宗派

一般的に浄土真宗では御朱印はしないというイメージが出来上がっています。

京都の東本願寺(真宗大谷派)のHPでは朱印をしない理由として「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはない。」「大事なのはお参りすることではなく、お参りして教えに出遇うこと。」「お寺を回ったというような達成感に腰を落ち着けてしまうのではなく、教えを聞き続けようと立ち上がる必要がある。」と述べられています。

しかし浄土真宗の寺院でも御朱印を頂けるところはあり、「御朱印をしない」ということを方針としているのは本願寺派と真宗大谷派の寺院に限られているようです。

御朱印所

浄土真宗でも東本願寺派である東本願寺では御朱印を頂くことが出来ます。御朱印所は本堂内左手奥です。

志納金300円

御朱印

「光雲無碍(こううんむげ)」と書かれた東本願寺の御朱印

「光雲無碍(こううんむげ)」と書かれています。これは、仏の光明が雲のように世界をおおい、あまねく照らすという意味なのだそうです。

血脈と法脈が影響する浄土真宗の宗派

本願寺の正式名称としては「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」となっています。

浄土真宗本願寺教団は戦国時代に各地で一向一揆をおこすなど巨大な力を持っていましたが、豊臣秀吉や徳川家康による宗教政策によって東西に分裂しました。現在では京都の西本願寺を本山とする本願寺派と東本願寺を本山とする真宗大谷派という2つの大きな宗派を始めとする「真宗十派」と言われる宗派があります。

その他にも数多くの宗派がありますが、真宗大谷派の内部で発生した「お東騒動」と呼ばれる紛争により、1988年に独立して結成されたのが東本願寺派です。

浄土真宗では僧侶に肉食妻帯が公然と許されており、師弟関係によって発生する法脈に加えて血縁関係による血脈が影響します。浄土真宗における宗派のややこしさはこの点が関わっているように思えてなりません。

東本願寺の歴史

東本願寺は1591年に神田に創建し、その後京都の東本願寺の別院となりました。1657年の明暦の大火により焼失し、浅草に移転して浅草本願寺と呼ばれるようになります。

境内は1万5000坪の広さを誇り、その姿は葛飾北斎の富嶽三十六景にも描かれています。その後火災による焼失と再建を繰り返し、関東大震災による焼失の後、昭和14年に現在の鉄筋コンクリート造の本堂が竣工しました。

昭和40年に浅草本願寺から東京本願寺に改称し、平成13年より現在の名称となっています。

アクセス

交通

銀座線田原町駅徒歩約5分

地図

浅草の寺社

www.goshuinbukuro.com

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東本願寺の見どころ

寺号標

浅草通に面した東本願寺の寺号標

浅草通に面して建っています。

正門

東本願寺の正門

本堂

正面から見た東本願寺の本堂

鉄筋コンクリート造の巨大な建物で、自動ドアを通って中に入ると、巨大な空間の正面に安置されている黄金の阿弥陀如来座像が目に飛び込んできます。

東本願寺の本堂裏側

本堂の裏側ですが、こちらの方が正面よりも迫力を感じました。

蓮如上人像

蓮如上人像
当時の民衆の成長を背景に講と呼ばれる組織を築くことにより、本願寺を急速に発展・拡大させた功労者です。

親鸞聖人像

親鸞聖人像

浄土真宗の開祖です。

墓地

東本願寺の境内に整備されている霊園

東本願寺の本堂向かって左手には霊園が整備されています。浅草という良好な環境の中でご先祖様の供養ができます。

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