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〖御朱印〗矢先稲荷神社は天井絵の「馬乗絵百体」が素晴らしい

今回は浅草の矢先稲荷神社の御朱印をご紹介します。かつてこの地にあった浅草三十三間堂の鎮守として創建され、現在も当地の産土神として人々の崇敬を集めています。

浅草三十三間堂の鎮守として創建

浅草三十三間堂を描いた古地図

京都の三十三間堂では長さ約121mある本堂西側の軒下を南から北に矢を射通す「通し矢」が人気となっていましたが、徳川三代将軍家光はこれをうけて1642年に浅草にも三十三間堂を建立し、その鎮守として稲荷神を祀ったのが神社の起源です。

矢先稲荷神社も描かれた古地図浅草三十三間堂では京都にならい堂(青い屋根の細長い建物)の西縁を矢場とし、北側に的を設けました。神社がその的の先(矢印部分)にあったことから「矢先」の名が冠され、矢先稲荷神社と呼ばれるようになりました。

当時流行した「通し矢」とは

三十三間堂では弓の射技練成のために行われていた通し矢は、勝てば武士としての名誉となることから大いに流行しました。距離(全堂、半堂、五十間など)、時間(一昼夜、日中)、矢数(無制限、千射、百射)を組み合わせて様々な競技が行われ、京都や江戸だけでなく東大寺でも行われています。

この内一昼夜にどれだけの本数を射通したかを競う大矢数が花形種目で、東大寺の通し矢で総矢数11,500本中、8,685本を射通したというのが最高記録のようです。

浅草三十三間堂は1698年の大火で焼失し、その後深川に移転します。一方その鎮守であった矢先稲荷神社は町民の要望もあって現在の地に再建されました。

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矢先稲荷神社の境内

大鳥居

矢先稲荷神社の大鳥居鳥居に架かる扁額が陶製というのは初めてです。

拝殿

矢先稲荷神社の拝殿先の大戦の空襲で焼失し、現在の建物は昭和35年に再建されたものです。

本殿

矢先稲荷神社の本殿拝殿の奥にある御祭神を祀る本殿です。

御神宝の天井絵「馬乗絵百体」

社殿が再建された際、弓術と縁の深い馬術の絵馬を新しい社殿の格天井に揮毛したいという氏子崇敬者の思いから、神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納されています。

歴史上の有名な人物が馬に乗っている絵を中心に時代ごとに並んでおり、このうちのいくつかは映画「ラストサムライ」の公式ガイドブックに使用されたそうです。

拝殿に上がって鑑賞することができます。(裸足はダメなようです)

撮影に関する注意書き本殿にレンズを向けなければ天井絵馬は撮影可能です。

天井に描かれた馬乘絵百体縁の部分にそれぞれの絵の時代が書かれています。

義経と那須与一中央で崖を駆け下りているのが鵯越の義経、その隣が屋島の戦いの那須与一でしょうか。

西竹一大佐と愛馬ウラヌス号下段中央は1932年のロサンゼスルスオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得した西竹一大佐と愛馬ウラヌス号で間違いないと思います。

曲垣平九郎と乃木将軍中央で石段を昇っているのは愛宕神社の石段を馬で上った曲垣平九郎でしょう。その左斜め上は乃木将軍に思えます。

庶民と馬武士や軍人といった以外の人々と馬とのつながりも描かれています。

このほかに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はもちろん、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信といった武将もいるようなので、次回はもう少しじっくりと鑑賞してみたいと思います。

御朱印

現在社務所の工事中のため、御朱印は社殿脇のプレハブの建物で頂けます。

矢先稲荷神社の御朱印

丁寧に書いた御朱印をいただきました。左下の印は馬でしょうか。このほかに七福神の一人である福禄寿の御朱印も頂けます。

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