酒と車と御朱印の日々

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〖御朱印〗花園稲荷神社ではシールタイプの御朱印が頂ける

今回は上野公園内の花園稲荷神社の御朱印をご紹介します。

神社が鎮座しているこの地は、幕末に新政府に反対する彰義隊が寛永寺に立てこもったことから発生した上野戦争において、最後の激戦地となった場所でもありました。

f:id:minamimachida0706:20171103221141j:plain現在の精養軒や韻松亭のある場所もかつては神社の敷地でしたが、現在では当時の約半分の広さの敷地に五條天神社と同居しています。

f:id:minamimachida0706:20171103221219j:plain上野公園のメインストリートに面したいかにも日本的な風景であるため、花園稲荷神社の鳥居は外国人観光客の格好の記念撮影スポットとなっていました。見ているとここで足を止めるのは外国人ばかりで、日本人は素通りしている人が多かったように思います。

f:id:minamimachida0706:20171103221311j:plain神社に向かって朱色の鳥居の列が並んでいるこの下り坂は「稲荷坂」と呼ばれています。

f:id:minamimachida0706:20171103221343j:plain神社まではもう少し坂を下らなければなりません。

花園稲荷神社の社殿は稲荷坂を降り切った場所に位置しています。

f:id:minamimachida0706:20171103221412j:plain花園稲荷神社が創建された時期は不明ですが、古くからこの場所に鎮座し、石窟の上にあったことから「穴稲荷」と呼ばれていました。

 

1654年に天海大僧正の弟子である晃海僧正が霊夢に感じ、その時荒廃していた神社を再建して上野の山の守護の神とします。上野戦争の戦場となったのち明治6年に再興されて「花園稲荷神社と改称し、大正14年に五條天神社が遷座してくると社殿も南向きに新たに造営されました。

f:id:minamimachida0706:20171103221544j:plain特に説明文のようなものは無かったのですが、こちらが旧社殿のようです。

f:id:minamimachida0706:20171103221620j:plain旧社殿の脇に穴稲荷への入り口があり、扉を自分で開けて中に入ります。(内部は撮影禁止)

中に入ると正面に祠があり、向かって右手の壁に暗い穴が開いていました。

正面の祠は、天海が寛永寺を建てる際に忍ヶ丘の狐が住処を失うのを憐れんで建てたもので、暗い穴が穴稲荷様ということになります。ネットで検索して見ると穴稲荷や正面の祠を撮影した写真を掲載した記事が多数見つかりましたが、穴稲荷は撮影禁止ですので皆様は十分に注意してください。

f:id:minamimachida0706:20171103221707j:plain不忍池側に面した五條天神社の参道側にも花園稲荷神社の鳥居がありました。

 

御朱印は拝殿脇の授与所で書置きのものを頂けますが、なんとこちらはシールタイプという大変に珍しいものでした。

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f:id:minamimachida0706:20171103221809j:plain書置きの御朱印を御朱印帳に糊付けする際はしわにならないようにいつも苦労しているのですが、こちらは大変にやりやすかったです。この方式が今後広まってほしいものだと思うのですがいかがでしょう。

f:id:minamimachida0706:20171103221829j:plain大変にかわいらしい雰囲気の御朱印を頂きました。

◆同じ敷地内に同居している五條天神社の記事

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◆周辺に点在する寛永寺の諸堂の記事

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