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〖御朱印〗五條天神社は菅原道真を起源に持たない天満宮だった

今回は上野の五條天神社の御朱印をご紹介します。

上野公園内の上野大仏と不忍池弁天堂の間に位置していますが、寛永寺や徳川家とは特に関係はありません。

これまで上野公園は何度も訪れており、この場所に神社がある事には気が付いていました。しかし寛永寺の諸堂を巡ることをついつい優先してしまい、これまで素通りしていました。そのためお参りするのは今回が初めてということになります。

本来五條天神社は医薬祖神を祀る健康祈願の神社なのですが、一方で東都七天神社の一社に数えられる天満宮でもあります。神社が創建されたのが第12代景行天皇の時代で、その頃は天神信仰の菅原道真はまだ生誕しておらず、そのため五條天神社は道真を起源にもたない天満宮という珍しい存在であるといえます。

江戸時代に入り、社名に「天神」とあるため菅原道真の像がなくてはと、天海が開眼供養を修した道真の像が併せて祀られています。

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同じ境内に兼務社の花園稲荷神社と共存していますが、どちらかが境内社ということではありません。

 

五條天神社の鳥居は不忍池側にあります。

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大正十五年に奉納されたものですが、東日本大震災の際に被災して亀裂がはいったため、支柱のみ新しく修繕しています。そのため鳥居の支柱部分だけ色合いが違うことがわかります。

 

五條天神社は日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀ったことが起源とされる非常に歴史の古い神社で、少なくとも室町時代には上野の山に鎮座しています。

少彦名命は人々に薬の術と病を治す方法、酒の作り方等を教えた神であることから、医薬祖神として人々の崇敬を受けてきました。

 

しかし徳川幕府の時代になると寛永寺の拡張の影響を受けて社地を度々移転させられることになります。歴史の古さの違いは明白ですが、やはり権力者がバックにいる相手にはとてもかなわないという事なのでしょう。

明治以降は鉄道の高架化や関東大震災の影響によりまたもや各地を転々としなければならず、現在の地に落ち着いたのは大正14年になってからです。

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昭和3年に社殿が竣工され遷座祭を行いましたが、現在の社殿はその時に建てられたものです。各地を転々とした後、最終的には神社創建の地のかなり近くに戻ってきたと言うことが出来ます。

上野公園内という立地のため境内は賑わっていましたが、日本人よりもむしろ外国人観光客の方が多かったように思います。

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拝殿の西側には神楽殿があります。

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御朱印は社務所で頂くことができます。

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実に分かりやすい内容の御朱印を頂きました。

 

◆周辺にある寛永寺の諸堂の記事

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