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〖御朱印〗大河ドラマで話題の眞田神社で秋の限定御朱印をいただいた

今回は眞田神社の御朱印をご紹介します。

眞田神社は真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を祀っています。昨日ご紹介した山家神社の境内にも「真田神社」がありましたが、こちらは真田幸隆、昌幸、信幸、幸村の神霊に地域の戦没者を合祀したもので、眞田神社とは全く別の神社になります。

上田城内にある眞田神社

眞田神社には山家神社のお参りを終えてから向かったのですが、バスが15:30発で上田駅着が16:00着予定で、果たしてこの時間に御朱印所が開いているか気になります。途中の「原町」バス停が上田城に最も近いようなので、少しでも早く着こうとここでバスを降りました。

国の史蹟である上田城址

眞田神社がある国の史蹟の上田城址上田城は大阪冬の陣・夏の陣で活躍した真田幸村の父である昌幸が築城し、二度にわたり徳川軍を撃退した城ですが、関ケ原の戦いで西軍が敗れて昌幸が九度山に配流となって以降、徳川家によって徹底的に破却され堀も埋められてしまいました。現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたもので、その後仙石氏の転封により松平氏が城主となって明治維新を迎えました。

二の丸橋

上田城址の二の丸橋

城内の案内図

上田城址の城内案内図

城内の紅葉

城内の紅葉

城内の紅葉ちょうど色づき始めの時期でした。

東虎口櫓門

上田城址の東虎口櫓門裏側はこうなっています。古写真等を根拠に平成5年に復元されたものです。

上田城址の東虎口櫓門の裏側

眞田神社の由緒

眞田神社はもともとは江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで約160年間上田城主であった松平氏を祀る松平(しょうへい)神社として明治12年に創建されました。その後上田城守護の神社として、築城した真田氏や再建した仙石氏も祀るよう要望が出された結果、歴代全城主を祀る上田神社となります。かつて市内にあった同名他社と紛らわしいということで、昭和三十八年に眞田神社と再度改称して現在に至っています。

しかし真田氏ゆかりの山家神社内に真田神社があることから、こちらの方がはるかに紛らわしいと思うのですがいかがでしょうか。

眞田神社の境内

大鳥居

東虎口櫓門を抜けた正面にある眞田神社の大鳥居東虎口櫓門を抜けると正面に眞田神社の鳥居があります。

参道

右側に御朱印所がある眞田神社の参道右側の御朱印所は幸いにも開いていました。

拝殿

眞田神社の拝殿

 

本殿

眞田神社の本殿

真田井戸

場外まで通じている眞田神社の真田井戸城外まで通じており、敵に包囲されて籠城となっても食料の搬入や人の出入りが自由にできたといいます。

西櫓

神社の奥にある眞田神社の西櫓神社の奥にあります。

眞田神社の西櫓から一望できる上田市街西櫓からは上田市街が一望できます。

御朱印

眞田神社では季節ごとに限定御朱印が頒布されるのですが、ちょうど秋の限定御朱印の期間中でした。

眞田神社の秋の限定御朱印

真田昌幸の黒兜を描いた御朱印を頂きました。

真田の意気と武運長久を意味を込めた眞田神社の御朱印

正幸の甲冑は銀粉で斜めに描かれた四段梯子が特徴です。兜の前立は「天を衝き抜ける」という意気を示し、四段梯子模様は真田の武運の長久と「死線を超える」という意味がこめられているそうです。

私の御朱印を書き終わると御朱印所が閉められてしまいましたので、まさに間一髪だったようです。

★最後までお読みいただきありがとうございます。

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