酒と車と御朱印の日々

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〖御朱印〗秩父御嶽神社で待っていたのは地獄の階段昇りだった

今回は秩父御嶽神社の御朱印をご紹介します。

西武秩父線の線路沿いに位置する秩父御嶽神社は、小殿バス停と吾野駅を結び竹寺や子の権現を経由する自然歩道である「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」のフィナーレのような場所となっています。

小殿からひたすら続いた山道をどうにか踏破し、浅見茶屋で食事と休養もできました。最後に秩父御嶽神社のお参りをサクッと終わらせてこの日四つ目の御朱印を頂き、休暇村奥武蔵で風呂に入って汗を流してから帰るというのが当初の計画です。

秩父御嶽神社の一の鳥居です。

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どうやら豊かな自然に囲まれた神社のようです。

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旧日本海軍元帥で日露戦争の際の連合艦隊司令長官だった東郷平八郎と関係の深い神社であると聞いていたため、原宿の東郷神社のような姿をイメージしていましたが、予想とはかなり違っていました。ちなみに御朱印所はこちらの左手にあります。

 

子の権現に奉納されていた巨大な下駄がこちらにもありました。

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秩父御嶽神社の境内案内図です。この延々と続く階段は一体何でしょう。どうやら当初の目論見とは違った状況になってきたようです。

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いよいよ階段が始まりました。これまで延々と山道を歩いてきた足にはかなり応えますが、この程度の階段が平らに見えるような光景を後程目にすることになります。

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階段が少し急になりました。

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東郷元帥の銅像が見下ろしてきます。

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日露戦争における日本海海戦の大勝利により東郷元帥は神のごとき存在となりましたが、全国20カ所以上から出された銅像建立の願いに対し、自身の生前の銅像建立を未だかつてどこにも許していませんでした。そのため秩父御岳神社を開いた鴨下清八は何度も自宅を訪れて銅像建立の許可を求めるだけでなく、東郷元帥と親交のある陸軍予備役中将堀内文次郎を通して説得したといいます。

それ以降秩父御岳神社の境内は東郷公園と呼ばれ、日露戦争の遺品が展示されています。

旅順軍港に布設され、日本海軍の進入を防いだ水雷です。旅順港を巡る攻防に際し、連合艦隊は戦艦2隻を触雷で失いますが、それがこの水雷だったのでしょうか。

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ロシア艦隊主砲の砲弾です。

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戦艦三笠の甲板です。

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司令長官が乗る旗艦だった三笠は日本海海戦において艦隊の先頭にいたため敵の砲弾が集中し、甲板がハチの巣状になりました。三笠は現在横須賀で記念艦として保存されています。

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さらに急になった階段が続きます。

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この階段を上がってしばらく進むと嘘のような光景が出現しました。

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ここは本殿遥拝処と呼ばれる場所です。

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どうやらお参りを断念し、ここから本殿を遥拝して帰ってしまう人もいるようです。しかしそれでは「お参りをした証」という御朱印の趣旨に反することになるので、何としても登ると覚悟を決めました。人生において幸運のきっかけというのはどこに転がっているかわからないものです。それにしても真下に立って上を見ると階段は壁のようでした。

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全長9.5㎞の山道を歩いてきた後だけに相当きついものがありました。ちょうど鳥居のあたりで早くも両足が悲鳴を上げるような状態となり、一旦途中で小休止です。愛宕神社の出世の石段でも香川のこんぴらさんの石段でも途中で止まるなどということなどなかった私にとって、こんなことは初めての経験でした。

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階段を上りきるとまた次の階段か待っています。

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途中にはこのような札が立てられていました。

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残り200段の所から見上げると、上がった先にさらに次の階段が待っていることがわかります。傾斜が急なうえにつま先上がりになっている段がいくつもあり、その度に後ろによろけそうになりました。ここでは手すりをしっかりと握って上らないと危険です。

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これが最後であることを願って上ります。

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まだ50段もあります。

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どうやらこれが本当に最後のようです。

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秩父御嶽神社の本殿です。

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秩父御岳神社は明治27年に百姓の長男であった鴨下清八が創建した神社です。母が危篤となって医者も見放す状態となったため、御嶽教の信徒となって修行したところ奇跡的に回復しました。神徳を信じた鴨下は福寿山を開き、木曽御嶽山を勧請して秩父御嶽神社を創建したのです。

 

本殿に向かって右側には、「幸の鐘」という梵鐘があります。

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晴れていればこの地点からスカイツリーが見えるそうです。

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さて上ってきたのですから今度は下らなくてはなりません。急な階段で体を支えられる自信がなかったため、下りはもっぱらう回路を利用しました。

 

御朱印は麓の社務所で頂けます。応対してくれた女性職員に「その御様子だと本当に上まで行かれたようですね」と言われました。

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神職がお祓い中ということで書置きの御朱印を頂きました。

 

◆「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」沿いにある寺院

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◆日本海海戦の間、東郷長官が立ち続けた場所

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