今回は諏訪大社下社春宮の御朱印とみどころをご紹介します。有名な御柱祭で坂から落とした御柱も確認しますし、敷地外にある有名な「万治の石仏」も併せてご紹介します。
下社春宮は下諏訪の町の北端で下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座しています。
大門通り
春宮大門から春宮まで続く約800mの直線道路は大門通りと呼ばれています。
春宮大門
ここから春宮まで続く直線道路はかつては春宮専用の道路で、下社の大祝であった金刺一族を始めとする多くの武将が流鏑馬の腕を競い合った場所でした。
参道沿いの民家はどこも植木の手入れが行き届いており、歩いていて大変に気持ちの良さを感じます。
伊勢神宮や榛名神社でも感じたことですが、歴史のある門前町をきちんと残すためには近隣住民の協力が不可欠なのでしょう。
下馬橋
1578年に造営された諏訪大社全体で最も古い建築物です。かつてはたとえ殿様といえどもこの場所で籠や馬から降りて歩かなければならなかったのでこの名前が付いています。
諏訪大社下社の特色
本殿を持たない
諏訪大社の下社も本殿を持たず、それに相当する宝殿を東西2つ持ち、御柱祭に際してその内の一つを建て替えるのは上社と同じです。下社春宮では宝殿の奥に建つ杉の古木を御神体としています。
年に2回遷座がある
下社ではこれ以外にも遷座があります。下社は建御名方神と、八坂刀売神の両神を祀っていますが、八坂刀売神は春宮に2月~7月、秋宮に8月~1月の間鎮座します。2月1日の遷座祭は秋宮から春宮、8月1日のお船祭は春宮から秋宮へと御霊代が移動しますが、この時白丁に担がれた御霊代のみが下馬橋を渡ることができます。
諏訪大社下社春宮の御朱印
御朱印所
御朱印は石鳥居横の社務所でいただけます。待つことなくすぐに書いて下さいました。
受付時間9:00~17:00頃
初穂料500円
御朱印
上社と同様に、どの角度から見てもかっこいい御朱印です。
下社春宮のみどころ
境内案内図
石鳥居
1659年建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿(重要文化財)
神楽や舞を奉納したり、祈願を行う場所である神楽殿です。
縁結びの杉
先で二股に分かれていますが、根本では一つになっていることからこの呼び名が付きました。
幣拝殿(重要文化財)
1781年に落成した祭祀、拝礼を行う建物です。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並んでいます。春宮と秋宮は同じ構造ですが、両社の建築は彫刻において技が競われております。
春宮の社殿の彫刻は古くから諏訪地域の寺社建築を請け負い、それによって技術を磨き信用を積み上げてきた地元の古豪である大隅流が手掛け、藩が提示した金額の半額で、さらに秋宮より1年早く完成させてみせました。
諏訪大社下社春宮の御柱
一之御柱
一之御柱の裏側です。
激しく削れていた上社本宮と違い、出っ張っている部分だけが削られた様子です。
二之御柱
三之御柱
四之御柱
万治の石仏
岡本太郎が絶賛したことで有名になった「万治の石仏」は春宮から徒歩5分くらいの場所にあります。
春宮沿いを流れる砥川を渡ります。
田んぼの中に石像が見えてきました。予想以上の大きさに驚かされます。
1657年に春宮に石鳥居を奉納しようとして職人たちが巨石にノミを打ち込んだところ何と石が血を流しました。祟りを畏れた職人たちは大鳥居を断念し、改めて阿弥陀仏を刻んで建立したのがこの像です。
御柱祭の見物の際に石仏を紹介された岡本太郎はそのユニークな風貌を激賞し、その後何度も下諏訪を訪れたそうです。
商工会議所推奨のお参りの仕方がありました。
★最後までお読みいただきありがとうございます。
スマホでご覧の方はPCでも見ていただきますと写真がよくわかります。
※はてブのところをポチっとしていただきますと励みになります。
◆諏訪大社上社前宮の記事(四社めぐり➀)
◆諏訪大社上社本宮の記事(四社めぐり②)
◆諏訪大社下社秋宮の記事(四社めぐり④)
◆戸隠神社の記事
◆長野の象徴である善光寺の記事