今回は日本橋蛎殻町に鎮座する水天宮の御朱印をご紹介します。
地下鉄の駅名になっているくらい有名な神社ですが、もともとは久留米に起源を持ち、以外は人から狛犬を寄進されています。
長らく建替え工事を実施していましたが、完成したようなのでお参りしました。
免震構造を供えた近代的ビルになっていた
半蔵門線の水天宮前駅で下車して地上に上がると、以前とは全く違った光景になっていました。
近代的ビルと一体化した堂々たる社殿がそこにはありました。
建て替え後の水天宮は何と最新式の免震構造の建物となっています。「安産祈願を安全に」という事なのだそうです。
免震構造とは地震の際に地盤の揺れを建物本体に伝わらないようにすることによって建物の被害を食い止めようとするもので、建物と地盤を切り離して間に免振ゴムやオイルダンパーのような素材を挟み込みます。
エキスパンションジョイントと呼ばれる金属製のカバーの下は隙間があいています。地震で大きな揺れが発生しても最小限の破損で済ませるための工夫です。
車のサスペンションのように地震の振動を免振ゴムが吸収することにより建物の揺れを最小限にするというもので、揺れを吸収させるための隙間を植栽でカバーしています。
下を覗き込みたい衝動を辛うじて抑え込みました。
久留米が発祥の地だった水天宮
東京の水天宮はもともと九州の久留米藩主が代々崇敬してきた久留米水天宮を江戸でもお参りできるように勧請したものです。
全国各地にある水天宮の総本宮は久留米水天宮で、意外なことに源平の壇ノ浦の戦いと関係がありました。
安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官の伊勢は壇ノ浦の戦いで生き残って現在の筑後川のあたりに落ちのび、平家一門と共に入水した安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼(平清盛の正室)を祀った祠を建てたのが水天宮の起源です。伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、周辺の民に請われて行った加持祈祷が霊験あらたかであったため尼御前と称えられ、水天宮は当初尼御前神社と呼ばれていました。
1818年に赤羽橋の久留米藩有馬家上屋敷内に勧請された水天宮は人々の信仰が篤く、塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶たなかったといいます。そのため時の藩主は毎月5日に限りお屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。
その後も水天宮は有馬家と共にあり、明治4年に青山、翌5年に日本橋蛎殻町に移転して現在に至っています。
水天宮の境内
表参道
表参道にあたる正面の階段です。
階段脇の人形
これが何の人形かはついにわかりませんでしたが、隋神門のようなものかもしれません。
狛犬
同じ久留米出身という事なのか、ブリヂストンの創業者が狛犬を寄進しています。
神社に寄進といえば松下幸之助氏の名前ばかり見ていましたが、石橋氏も美術館だけじゃなくてこんな所にも金を使っていたようです。
安産子育河童
足もと・胸・肩に赤ちゃんの河童がしがみついています。
子宝犬
お産が軽く多産であるいぬにあやかったもので、周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるといわれております。
本殿
境内社
寶生辨財天
学業・芸能・財福の御利益があるといわれています。
都心部の神社はビルと共生するしかない
本殿から振り返ると表参道である階段の上に建つ超近代的なビルが良く見えました。
虎ノ門の金刀比羅宮や六本木の出雲大社東京分祀のように、都心部の神社はこのような形でビルと共生することが避けられない時代なのかもしれません。
御朱印
御朱印はビルの中で頂けます。
美しい筆跡の御朱印を頂きました。
◆大規模再開発工事でよみがえった福徳神社
◆近代的ビルと共生している虎ノ門金刀比羅宮の記事
◆分譲マンションのテナントとなっていた出雲大社東京分祀の記事
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